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書簡「幸福なる方へ」

矢内 孝

 前略 幸福なるあなた様

  この度は私めの葬儀へ参列下さいましたことへの御礼を申し上げます。あなた様の私の遺影を見つめる目は、きっと微笑んでらっしゃることと思います。それで宜しいかと存じ上げます。何故なら、あなた様は私が生前申し上げたことを理解して下さったと勝手に解釈させていただきましたので。

  私があなた様に初めてお会いしたのは、私が最初に図った死を選んだ時でした。死ぬことに失敗して横たわった病院のベッドで、気がついた時に天使のような微笑みをたたえたあなた様がいらっしゃいましたね。この度の私の遺影の前のあなた様のはそう、その時と同じように微笑んでいらしたかもしれません。でも、お話しが続く程にあなた様のお顔から笑顔がだんだん消えてくのがわかりました。あの時、あなた様は私に同情をしていらしたのでしょうか。でもご心配はいりません。あなた様は私が世間から受け入れられない孤独感を味わっていると、どなたかからお聞きになったようですね。でも、それは違うのです。私が世間に受け入れられないのではなく、私がこの世に違和感を覚えているだけなのです。所詮この世界は多数決です。どこまでが本当か、どこからがおかしいのかは、誰も線を引くことは出来ないでしょう。
 然るべき所に存在するもの、それ自体は悪ではございません。いてはいけない所へ押し出され引きずり出されて初めて迷惑な存在になるものもございます。世の中に存在する総てのものには意味のない存在、目的の無い存在などというものはそれこそ存在しない、と私は信じておりますから。私はただ生まれ育った世界が違っただけなのですから、また違う世界へ生まれ変わりたいと願うだけなのです。
 あなた様は、おっしゃいました。
 「生きたくても生きられない人もいるのだから、あなたはその人たちの分まで強く生きなくては」
 おっしゃることは全くその通りに存じます。では、生きるということはどういうことなのでしょう。あなた様はどうやら「死にたい」と「生きたくない」を同一に考えていらっしゃるようですが、私のような死にたがる者は寧ろ生に執着していると言えば信じていただけるでしょうか。
 生きたいが為に死を選ぶ者もいることを忘れないでいただきたいと存じます。
 あなた様はまた「不幸願望が強いのですね」とおっしゃいましたが、私はそれを否定するつもりはございません。しかし、本当の不幸を望む人がどこにいるのでしょうか。人はどのような場合においても幸福を望むものだとお思いにはなれませんでしょうか。他人の物を盗む時も、人を嘲笑う時も、それはその場一瞬のみの、あなた様とは違う価値観ではありますが、人はそんな時にも幸福を感じているものでございます。死を願う時もそれは同じなのです。少なくとも私は、幸福を願うからこそ不幸願望をいつも胸に抱いているのです。あるいは、私は甘えているのかもしれません。不幸に歩み寄ればそれだけ人がかまってくれることを心のどこかで期待しているのかもしれません。しかし、今の私はそうやって生きるのが精一杯の生き方であり、幸福の味わい方なのです。

 私に三度はありません。次の二度目には確実に私は、違う世界へ旅立ってい ることでしょう。そしてその時は、あなた様は私と交わした言葉の数々を思い出して理解して下さると信じております。そして、もしあなた様が私と同じ考えを持っている人と出会ったならばひとつだけ、「正しい愛し方」をお考えいただくことをお願いいたします。


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