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進歩と犠牲

荻野誠人

進歩には犠牲がつきものだとよくいわれる。確かに世の中という巨大な歯車を最初に回そうとする人は必ずといっていいほど犠牲になる。それは世の中の進歩によって利益を失う者や既成観念にこりかたまった者が進歩のにない手を押しつぶそうとするからだ。

たとえば初めて男性の独占する職場に進出した女性はどうだろう。その女性はまわりからひどく苦しめられたにちがいない。仕事、賃金、昇進の差別や、家族、友人、職場の男性の中傷、嫉妬、無理解----。はたしてその女性は幸福な一生を送れたかどうか。しかし現在では、依然差別や偏見が残っているとはいうものの、一昔前に比べれば事態ははるかに改善されている。これは立派な進歩であり、その第一の功労者は初代の勇敢な女性である。その女性がいたからこそ、あとから多くの女性が差別や偏見と戦うことができたのである。

ガリレオ・ガリレイも歯車を最初に回した人だ。彼は初めて公に地動説への支持を表明した。そのために、地球中心の世界観を守ろうとする教会によって裁判にかけられ、学説の取消を強要された。その後ガリレイは軟禁され、天文学の研究を禁じられてしまう。しかし現在では、小学生でも地球が動いていることくらいは知っている。真実が認められたのだから、これも進歩であり、ガリレイはその偉大な功労者である。

坂本龍馬のように進歩のために命をかけた人もいる。龍馬は幕府を倒し、日本を西欧に負けない近代国家に脱皮させようとして、精力的に活動した。しかしそれは幕府側に命をねらわれることをも意味していた。龍馬もそれは百も承知していたはずだ。そして実際に彼は暗殺されてしまう。しかし間もなく幕府は倒れ、日本は近代国家への道を歩み始めることになる。

歯車を最初に回す人たちは例外なく、勇気と決断力に富み、さらにある人は犠牲的精神、ある人は並みはずれた創造力の持ち主である。つまり人間として一流で、周囲の賞賛に最も値する人たちなのである。ところがこの一流の人たちの多くは誰よりも苦しみ、ふさわしい評価を受けることなく一生を終えてしまう。この人たちのあとから比較的優れた人たちがついて行って、先人の歩んだ道を広げたり、整備したりする。存命中に俗世の栄誉に輝くのもこの人たちからである。やがて多くの人たちが何も知らずに先人の苦闘の成果を享受するようになる。

世の中を進歩させようとするならば、進んで苦難を背負う覚悟が必要である。わが身がかわいい人や、俗世の栄誉を期待する人にはとてもできない仕事である。

私はといえば、生来の臆病者であり、とても歯車を最初に回す器ではない。しかし、せめて先人の苦しみだけは忘れまいと心がけている。

(1986・8・18)


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