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サービス停車のある風景

向井俊博

 山なみの向こうに青空がのぞくのに雪の舞う二月、車窓をかすめた藁葺き屋根の風情につい誘われ、伊賀上野で途中下車をしてしまった。改札口の時刻表で次の列車はちょうど一時間後であることを確かめ、外へ出る。いかにも旧家をしのばせる独特の家並はひっそりと静まり、路地をわたるにもついつましくなってしまう。足音を控えめにそろりと散策をしたせいか、駅への戻りは列車の発車時刻ぎりぎりになり、図らずも都会的な駆け込み乗車をしてしまった。

 来るときに奈良から乗り込んだ列車は二両編成であったが、今度の亀山行はたった一両の編成である。無粋な乗り込みをやった私に乗客全員の視線がどっと集まったので、座席が空いているのにすぐには座りにくくなってしまい、もじもじとコートの雪を払うなどして気持ちを落ちつけてから席に着いたのは、発車してかなり時間が経ってからであった。

 雰囲気に慣れて車内を見渡すと、老若男女、一見して地元の香りのする人達ばかりが乗り合わせており、ビジネススーツに鞄を手にしている私はいかにもよそ者の異分子といった感じで、ますます肩身が狭い思いになってくる。ワンマンカーの表示があるものの、車掌さんはちゃんと乗っていて停車案内の放送サービスをしてくれている。携帯電話の呼び出し音など起こりそうもない車内に身を置いていると、いかにも電車に乗っているんだとい心地よさが加わってくる。

 ふと正面の窓ガラスを見ると、車内が暖まってきたせいであろうか、テレビ漫画のちびまる子ちゃんの姿が表面に浮かんできた。がに股ではあるがすぐにそれと判るなかなかうまい絵だ。そこの座席に座っているおじさんが描くはずがないので、前に乗っていた子供さんが窓についた水蒸気の曇りを指でなぞった名残りに違いない。その向こうは横なぐりの雪で、列車はまさに雪をけたてていてスピード感がいや増す。

 何駅か過ぎたころ、小学五、六年生といった年頃の男の子が急に立ち上がったかと思うと、狭い車内を行ったり来たりし始めた。まるで動物園のシロクマのような仕草で、見ている方がせわしなくなる。見かねて声をかけたおじさんの「なんだしょんべんか」という大きな声にみんな大笑いをしたものの、男の子は恥ずかしがる余裕もなく、悲壮な顔で往来を繰り返している。

 そのうちに、「男の子だ、ぐっとこらえろ」「いや、気ゆるめて数を数えろ」といった具合にあちこちから檄がとびはじめた。靴の紐が片方解けているのに気づいた人が、「ぼく、ひもを結びな」と声をかけた途端、別の人が「いやあかん、しゃがんだらあぶない」とにぎやかな限りである。果ては「窓からしいな」と言う人に対して、「いや、この窓は開かんはずだ」「走っとるでうまいこといかん」「しょんべんいとるけど、大だったらどないするんや」とか坊やそっちのけの議論となる。

 その内、一人のおじさんが立ち上がって車掌の処へ行き、何か相談をして戻ってきて坊やに言う。「もうちょっとで関に着く。ホームに便所があるそうで、戻るまで電車は待っとってくれるそうや。安心しい。」一時間間隔の運転だから、吹雪の中でのおいてけぼりは大人でもこたえるのが分かっているので、この一言に坊やもみんなもほっとした。

 駅に近づくとまたもや車内の応援が始まる。「坊や、ようがんばった」「さあ、チャックを外せ」「ドアにへばりつけ」「槍をふりたて突撃だあ」とみんなの息がぴったり合っていく。

 JRさんもちょっぴり長めの停車サービスをしてから発車してくれたのはいうまでもないが、都会の駅のホームで倒れた人がいてもすぐに動かぬ野次馬を見慣れているだけに、心にしみるひとこまであった。

(平成9年3月8日)


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