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船上の戦い(天使の修業その8)

荻野誠人

 気がつくと大きな船の上でした。ピコエルとテラエルは互いを見て笑いだしました。二人とも十歳くらいの少年の姿だったのです。
  「君がそんなに小さいのはすごく変だなあ」
  「でも、こんな身長の時もあったんだよね」
  二人が座っているのは甲板の一番後ろでした。空はこれ以上ないというほどの青さで、太陽は真上で輝いています。海は穏やかで、船の残していく白い波が見えるばかりです。周囲には陸地も他の船も見えません。
  甲板では大勢の子供がめいめいに時間をつぶしていました。ござのようなものを敷いて寝ころがっている子供、連れ立ってぶらぶら歩いている子供、手すりをつかんで海を見つめている子供・・・。二、三人の大人の姿も見えます。時々はしゃぐ声が聞こえます。二人をちらと見る子もいましたが、近づこうとはしませんでした。
  「遠足か・・・」
  ピコエルが懐かしそうな目つきで言いました。
  二人のすぐそばの斜めに海に突き出したポールには国旗がだらりと垂れ下がっています。それに気づいたテラエルがつぶやきました。
  「ロシタニア連邦かな・・・」
 「ああ、そうだね。・・・それにしても、船で人助け、というと、次に起こることは・・・」
  二人の目が合いました。
  「・・・沈没か」
  と二人同時に言いました。ピコエルは眉根を寄せ、ため息をつき、首を左右に振って言いました。
  「めちゃくちゃだ」
  テラエルは小さな子のいたずらを見つけたときのような笑みを浮かべて
  「何考えてんだ、天界は」
  「たった二人でどうやってあんなに大勢助けろっていうんだ。助けられなきゃ、こっちのせいか」
  とピコエルは唇を突き出します。
  「まさか、台風、追い返せなんて言うんじゃないよね」
  「こんなにいい天気なのに、台風なんか来るのかなあ」
  「氷山に出くわすような場所でもなさそうだし」
  「怪獣でも出るのかな。それならうれしいけどね。・・・第一、沈没したら自分の身さえ危ないじゃないか。僕たちには基本的人権さえないんだな。・・・まあ、君は百キロでも泳げるんだろうけど」
  とピコエルは皮肉な言い方をしました。
  「おや、君も言うようになりましたね。じゃあ、君はイルカかクジラでも呼んで、背中に乗せてもらえばいいじゃないか」
  「ああ、今から練習しておくかね。・・・あーあ、かっこよく人助けできると思って参加したんだけど、これなら学校で、宿題でウンウンうなってる方がまだましだったな」
  「畑仕事も悪くないね」
  一通りぶつぶつ言ってしまうと、二人は少し冷静になりました。しばらくあたりを見回すと、ピコエルが声を潜めて言いました。
  「・・・それにしても、何か変だよな」
  「うん、僕もそう思う」
  ピコエルは煙を吐いている4本の煙突を見ながら
  「船には詳しくないんだけど、これって、ずいぶん古そうな船だよね」
  テラエルは甲板の隅に雑然と置いてある箱や樽のようなものを見ながら
  「うん。それに、こんな船で遠足するのかなあ。何だかあわてて出発したみたいだ」
  ピコエルの顔がかすかにゆがみました。テラエルは突然不吉な予感に襲われてさっと立ち上がりました。そして船尾のペンキがはげかかった手すりをつかみ、海に身を乗り出すようにして、水平線を見つめました。
  「どうした、テラエル」
  テラエルの表情が険しくなりました。
  「戦闘機だ」
  「え、なに?」
  すぐには事態がのみ込めないようでした。ピコエルには何も見えません。
  「プロペラ機。十機」
  「プロペラあ? 何それ」
  「僕の目を使え」
  ピコエルはテラエルにすばやく乗り移り、テラエルの目を通して、水平線のあたりを見つめました。確かに日に輝く真っ黒なプロペラ機の編隊が見えます。
  「どうやら第七帝国の戦闘機のようだ。爆弾積んで、こっちへまっすぐ向かってくる」
  「第七帝国? あの世界戦争を引き起こした?・・・そんなもの、とっくに・・・」
  いきなりピコエルは頭をかきむしりました。ああ、また僕たちはとんでもない世界に放り込まれたんだ。
  「じゃ、あの子たちは・・・遠足なんかじゃないんだ」
  ピコエルは膝が震えだすのを感じました。
  「そう。あれは・・・」
  「集団疎開か・・・」
  みぞおちのあたりが一瞬で石のようになりました。テラエルは珍しく眉間にしわを寄せて低い声で、
  「だが、そんな事情、子供たちは知らないだろう・・・」
  数人の男の子が追いかけっこをして、他の子供たちにぶつかり、大人に大声で注意されています。
  「でも、その、いくら帝国が今ロシタニアと戦争してても、これは子供の乗った船じゃないか。この船、素通りするんじゃないの、あの戦闘機は」
  「帝国の無差別攻撃、知らないな。病院船でさえ平気で撃沈したんだぞ。歴史の本に書いてあるんだ。たった十機でやって来たのも、この船をねらってる証拠さ」
  ・・・もっとも、この船に武器なんかが積まれてたりしたら、話は少し変わってくるけどね・・・。
  「そんなバカな・・・」
  ピコエルは泣きそうな顔になりました。
  「間違いない。だからこそ、僕たちがこの船に送り込まれたんだ・・・」
  テラエルは厳しい表情でピコエルをじっと見て叫びました。
  「・・・修行、開始!」
  「了解!」
  二人は会話を打ち切りました。
  了解とは言いましたが、テラエルが何とかしてくれるだろうという思いがありました。何しろ自分には戦う力などないのですから。ところが、テラエルは考え込んだまま、なかなか動こうとしません。ピコエルは慌てだしました。昔見た戦争映画の映像が次々によみがえります。戦闘機が軍艦をかすめ、次の瞬間映像は激しく揺れ、軍艦は炎と煙に包まれます。心臓の鼓動が頭にまで響いていました。
  テラエル、テラエル、なぜ何もしない。いつもあんなに決断が早いじゃないか。・・・だめだ、僕の力じゃ、戦闘機を攻撃することしかできない。でも、天の使いが人殺しなんかできるわけないじゃないか。力があっても、肝腎なときに何の役にも立たないなんて・・・。ここは、ピコエルに頼るしかないのか。頼むぞ。・・・どうした、まさか僕にこの事態を切り抜ける能力があるとでもいうのか。僕の力であの戦闘機をどうしろっていうんだ。僕には病気を治す力と・・・。いや、これは夢じゃないのか。
  ついにピコエルの目にも戦闘機の姿が見えるようになりました。やっぱりピコエルには無理か・・・。テラエルが素早く振り向くと、取っ組み合いをして甲板をごろごろ転がっている男の子たち、車座になって楽しそうにおしゃべりしている女の子たち。信じられないけど、テラエルが動かないのは、あいつにはできないからだ。それなら僕にできるはずだ。人に頼る気持ちがあったら、いつまでたっても一人前になれるか。自分を信じろ。天を信じろ。解決不可能な課題は与えられてないはずだ。申し訳ありません、パイロットの皆さん。・・・こうなったら、撃墜するしかないようです。戦争とは何の関係もない大勢の子供たちの方を、僕は守りたいと思います。皆さんの命の尊さ・・・皆さんは上に命令されただけだということ・・・そして、ご家族の悲しみ・・・少しは分かってるつもりですが・・・。テラエルの下ろしたままの両手が金色に輝き始めました。それを見たピコエルは一瞬ほっとしましたが、次の瞬間、テラエルが天の使いとしては許されない行為を選んだことに気づきました。やっぱりそれしかないのか、テラエル。ピコエル、お前は親友をおきて破りにするのか・・・。
  いつもと違ってテラエルの右腕がゆっくりと上がっていきます。とほうもなく重いものが自分の頭や肩や腕にのしかかってくるように感じていました。右腕が前に伸び、向かって左端の戦闘機に狙いがつけられました。次の瞬間には水平線上に十の小さな炎のかたまりが現れるのでしょう。・・・ちょっと待て! その時、ピコエルの心に、白い小鳥が自分の呼びかけに応じて飛んでくる姿が現れました。そして木の上のネコと道路に飛び出した男の子と。そうだ、これだ。これしかない。だめでもともとだ。ピコエルは、小説や漫画や映画からせりふを大急ぎで探し出し拾い上げ、テラエルがびっくりするほどの強い思いをこめて戦闘機にぶつけました。
  「・・・作戦中止! タダチニ帰還セヨ。作戦中止! タダチニ帰還セヨ。・・・」
  おお、そんな方法が・・・。右腕を伸ばしたまま思わずピコエルに顔を向けました。でも、いけるかもしれない。・・・頼む、帰ってくれ。ピコエルはこぶしを握りしめ、必死に命令を送り続けます。すると・・・
  中央の戦闘機が機体を大きく右へ傾け始めました。やった。テラエルが叫びました。後続の戦闘機も次々に機体を傾け、旋回を始めます。黒い機体がギラッギラッと輝きます。
  「やったぞ。すごいぞ、ピコエル」
  テラエルはピコエルに飛びついて、肩をつかんで揺すぶりました。すると、ピコエルはがっくり膝をついてしまいました。
  「おい、おい、どうした」
  「いや、ありがとう。だいじょうぶだ。この力を使うと・・・くたくたになるんで」
  それでもピコエルは満足そうに微笑みました。
  「みんな君のおかげで助かったんだ。誰一人傷ついてないんだ」
  そうだ。自分一人の力で勝ったんだ。僕だって戦えるんだ。甲板を叫びながら走り回りたい気分でした。
  その時、テラエルの笑顔が凍りつきました。体がぶるっと震えました。何だ、この不安は。ピコエルもそれを見てぎょっとしました。
  テラエルは身をひるがえしマストに駆け寄ってサルも顔負けの身軽さでよじ登り、小さな見張り台に飛び乗ると、素早くあたりを見渡しました。進行方向に向かって左側、遠くから海面を長く白いヘビのようなものが一筋、静かに近づいてきます。
  「魚雷だ!」
  テラエルの心の叫びがピコエルに届きました。ピコエルは立ち上がって魚雷の来る側へ駆けだそうとしましたが、足が動かないのに愕然としました。
  「今度は遠慮しない」
  さっと前に伸ばした右手が輝いたかと思うと、光の帯が一瞬白いヘビを撃ちました。何の変化もありません。ヘビは近づいてきます。えっ、なぜだ。自信があっただけに、自分の目が信じられませんでした。今度は左手が輝きました。同じことです。バカな。ヘビは大蛇になってぐんぐん近づいてきます。それに気づいた一人の大人の、言葉にならない叫び声が上がりました。水柱が船よりもはるかに高く上がるさまが目に浮かびます。さすがのテラエルも胸に冷たいものが走りました。子供たちが悲鳴を上げ目を見開いて次々に海に放り出されていきます。
  そうだ、分かった。テラエルは両手で白ヘビの手前の海面を、目標を少しずつずらしながら、何度も撃ちました。立て続けの稲光です。すると、ヘビは船のすぐ手前で動きを止め、徐々に消えていきました。・・・危なかった・・・。テラエルは大きく息を吐くと、見張り台でしゃがみこみました。やっぱり、天の修行は甘くないな・・・。
  白いヘビに見えたものは魚雷が進むときに後方に出す泡なので、いくらそこを撃っても魚雷自体を破壊することはできなかったのです。
  一方ピコエルは、船尾の手すりのそばでしりもちをついたまま動けませんでした。潜水艦は遠ざかりつつありました。何とか潜水艦のいる側の手すりにたどりつき、つい先ほどまで膝立ちになって海に向かい、「作戦中止! タダチニ帰還セヨ」と最後の力で命令していたのでした。
  役目を終えた二人の姿が消えていきます。ピコエルは、自分たちが去った後の船のことが心配でしたが、すぐに何も分からなくなってしまいました。
  人々は何が起こったのかよく分かりませんでした。マストに登ったテラエルを見上げていた数人は強力な光でしばらく目が見えなくなりました。目が元に戻ったときは、二人の姿も魚雷の跡もすっかり消えていました。
  大人たちは何か不思議な力で船が守られたのだろうと子供たちには内緒でうわさし合いました。神様に感謝の祈りをささげる人もいたとのことです。
  その船は無事目的地の港に着くことができました。なぜか第七帝国の飛行機も潜水艦もどうしてもその船には近づけなかったそうです。
  船から続々降りてくる笑顔の子供たちの中に、いつの間にか数人の見知らぬ大人びた少年少女が混じっていたことに気づく人はいませんでした。

                             2008・10・15

 


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