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自分を好きになれない人へ

荻野誠人

 「自分を好きになる」
 これは幸福に生きるための方法だそうだ。多くの人が本やホームページでそう勧めている。もっともな意見ではないかと思う。自分を好きな人は毎日楽しく朗らかに暮らせるに違いない。中には自分を好きになる具体的な方法を丁寧に紹介している人たちもいて、助かっている人も多いのではないか。これはもう表彰ものである。
 ただ私が気になるのは、そう主張する人たちの文章の中に、どうしても自分を好きになれない人たちについての記述が見当たらないことだ。この件について私よりも詳しい友人二人に尋ねても、そういう記述は見たことがないという。すべての人が自分を好きになるはずだと考えているのだろうか。
 私はすべての人が自分を好きになることは不可能だと思う。別に確固とした根拠があるわけではない。人間には美しい面も賢い面もある一方、醜い面や愚かな面もあり、それをどうしても好きになれない人がいてもおかしくないと思うからである。それに、「あなたはすべての人を好きになれますか」と尋ねられれば、多くの人がそんな聖人君子ではないと答えるだろう。それなら好きになれない人の中に自分自身が入っていても不思議ではないと思うからである。そして実際多くの自分を好きになれない人がいる。もう中年になった私のある知人は自分が嫌いだと堂々と公言している。私自身は6対4くらいで自分を好きな気持ちの方が強いと思うが、その逆に6対4で自分のことが嫌いという程度の人ならいくらでもいるように思う。
 自分を好きになる方法として、自分の長所を見つける、自分をほめる、自分のしたいことをする、自分の能力を伸ばすなど、様々なものが紹介されている。確かにこういった方法で自分を好きになる人は少なからずいると思う。だから試す価値は大いにある。しかし、それがすべての人に効き目があるかといえば、疑問に感じる。もし効き目があるなら、自分が嫌いな人が大勢いるわけがないだろう。またダイエットの方法と同じで、数多くの方法が繰り返し紹介されていること自体、万人向けの決め手がないことを暗示しているのではないか。
 このように、どうしても自分を好きになれない人がいるだろうに、そういう人のことについては何もふれていない。とにかく好きになることを勧めるのみである。となると、誰もが自分を好きになれるはずだという解釈が生じるのではないだろうか。その結果かえって苦しむ人も出てくるのではないかと気になる。私がよく覚えているある人の文章の一節に「私はまだ自分のことが好きでないからダメだ」というものがある。これなどその典型例ではないか。この人は自分を好きになるのが当然だと思っているのであろう。あるいは自分を無理に好きになろうとする人や自分を好きになったふりをする人もいるかもしれないが、いずれも無意味で、かえって気持ちに無理な負担がかかるのではないかと思う。
 自分を好きになれなくて苦しんでいる人に言いたい。
 自分がどうしても好きになれないのなら、それでいい。自分が嫌いな人がいてもいいではないか。別に悪いことをしているわけではないのだから、堂々としていればいい。
 それに、自分を好きになれない人は星の数ほどいるだろう。たとえ自分が好きだと言っている人でも、かなりの人がいくらかは自分を嫌いなのではないかと思う。私は6対4で自分が好きだと言ったが、それでも生まれ変わりたいと思うことも珍しくない。自分を嫌いだという気持ちは、それこそほとんどの人がもっているのである。皆、仲間みたいなものなのだ。
 それに自分を好きになれなくても暗い日々を送るとは限らないのである。では、暗い日々を送らないようにするために嫌いな自分とどう付き合うか。
 嫌いな人とでも仕事の上でならつきあうように、嫌いな自分とはつかずはなれずといった関係ではどうだろうか。心理学などでよく言われることだが、余りに自分を意識して嫌いな点を嫌うとますます嫌いになってしまうものだ。そして自分自身よりもむしろその嫌悪感に振り回され、苦しめられるのである。嫌悪感に対しては苦笑いして、さらりと受け流す。「またか、しょうがないなあ」と舌打ちしてその程度で済ませてしまうのである。
 そして、ありふれているが、自分を大切にすることを勧めたい。それはたとえば健康に気をつける、日常生活を規則正しく送るといったようなことだ。自分を大切にすることは理性的な行為なので、自分が嫌いであっても十分出来る。自分を嫌いな人は、自分を大切にしない傾向があると聞く。しかし、ちょっとかっこうつけて私の信条を言わせてもらえば、「自分を嫌うのは勝手だが、自分を粗末にするのは許しがたい」のである。
 私はプロの心理学者でもカウンセラーでもない。以上の提案は自分のわずかな経験と知識をもとにしているだけで、説得力が弱い。しかし、どうしても自分を好きになれない人たちに光が当たっていない現状を考えて、あえて声をあげてみた。専門家の皆さんは、こういう人たちの気持ちが少しでも楽になるような方法を編み出してほしい。

               2004・4・23


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