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正論の攻撃

荻野誠人

 ネット上には、仕事・教育・健康など様々なことについて、誰もが気軽に相談できる掲示板がたくさんあります。それを読んだ一般の人たちが自由に回答するのですが、回答の中には第三者が参考にできるようなものも多く、とても勉強になります。回答者の誠意や優しさが感じられるものもあって、こちらもほっとします。
  その一方、相談者を厳しく批判する意見もまた目立ちます。
  相談者の中には、知識不足の人、考えの甘い人、視野の狭い人、などなど自分にも問題の原因がありそうだと感じさせる人もいます。そういう点に気づかせてあげるのも親切と言えるでしょう。しかし・・・
 「そんなことも知らないとは、幼稚な先生ですね」
 「あんたのような無責任な店長の店には誰も行かないよ」
 「自分に甘い人ほどくだらない愚痴を言うもんですね」
  こういった回答を見た時、言っていることの内容はそれほど的外れではないだろうと、私も思いました。しかし、胸が痛み、気持ちが沈みます。何もこんな言い方をしなくてもいいだろう、と思うのです。
  そうかと思えば、すでに数人に立て続けに批判されて、とっくに決着はついているのに、さらに10人、15人と同じような批判が延々と続くこともあります。ほどほどのところで勘弁してあげるわけにはいかないのでしょうか。回答者は一体何のために書き込んでいるのだろうかと、分からなくなってきます。
  たとえ正論でも、このような批判を受けて、相談者は傷つかなかったでしょうか。批判は相談者の役に立ったのでしょうか。
  中にはどんな悪口雑言でも平然と受け入れる器の大きな人もいます。しかし、そうでない人も大勢いるでしょう。まして相談者は何か問題が起こっているから相談しているわけで、気弱になったり、動揺していたりすることも十分あり得ます。そこへの痛烈な批判は、普段よりもはるかに深く胸に突き刺さるでしょう。実際に、集中砲火を浴びて、うちひしがれている人の訴えをネット上で何度も読みました。これでは批判を受け入れるどころではありません。
  正しいからどんな言い方をしてもいいということはないでしょう。いくら正論でも相手に受け入れられなければ、何の役にも立ちません。問題解決のため厳しい意見が必要だというなら、なおのこと相手を傷つけない言い方を工夫していただければ、と思うのです。

2009・9・29

 


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