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成功例の扱い方

荻野誠人

 荒れて成績不良の学校を数年で学力最上位に変えたイギリスの女性校長を紹介したテレビ番組を見た。細身でやや厳しい表情の、自分を抑制するタイプの中年の人だった。他の教員の授業を見て助言を与えている場面や、校内を歩き回って、授業が始まっても廊下で遊んでいる児童を見つけて教室に入れる場面が印象に残っている。その女性は勲章までもらったそうだが、まさにそれに値する驚異的な業績である。
 だが、うなりながら番組を見ているうちに、ある疑問が浮かんできた。果たしてこういう改革が誰にでも出来るものなのだろうか、と。女性校長のような人はめったにいない。情熱、統率力、教育技術等、どれをとってもずば抜けているのだろう。それに校長は、日本では無理なことだが、赴任当時の教員のほとんどを自ら引き抜いた優秀な教員と入れ換えたのである。つまり平凡な校長や教員には出来ない改革であったのだ。
 イギリスはイギリス、日本は日本、と軽く無視してしまうのもどうかと思うが、万一この改革を全体のお手本にしようとする「偉い」人が現れたらたまらないな、とも思った。
 これは教育界の出来事だが、経済界での成功例ならもっと頻繁に新聞やテレビに紹介されている。特に不景気の今、独創的な経営や技術で業績を伸ばしている企業は注目の的、希望の星である。私のような商才など毛先ほどもない男でも思わずテレビの前に座ってしまう。懸命に知恵を絞って苦境を乗り切ろうとする姿に声援を送りたくなってしまう。
 そういった成功例から学ぶべきことは大いにある。だから、マスコミが取り上げること自体はいいことだと思う。しかし、どんなに学んでも同じような成果を上げることはなかなか難しいだろう。不況下でも業績を伸ばすほどの能力をすべての人がもっているとはちょっと考えられないからだ。それに中には運が味方したという場合もある。だが、そうは考えたくない「上司」もいるのだろうか。
 教育でも実業でも凡人は凡人なりに精一杯努力すれば、それでいい。その結果目ざましい成果を上げられなくてもやむを得ないだろう。どのあたりがその人の限界か、見きわめるのは難しいが、器以上のことを要求して苦しめるよりはましではないだろうか。
 成功例を引き合いに出して「がんばれよ」と激励したり、「こうすればいいんじゃないか」と意見を出したりするぐらいはいいのだろうが、仕事がうまく行かずに弱っている人に向かって「お前にだって出来るはずだ」と圧力をかけたり、「それに引きかえお前は何だ」と非難したりするのは余りにもむごい。だが、残念ながら私の周囲でもたまにそういうことが起こっている。そもそも誰もが真似出来る程度の成功例なら、マスコミが取り上げることもないのである。
 成功例は、扱い方によっては人を刺す。

               2003・1・9


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