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霊能力のとらえ方について

荻野誠人

 この小論では題名通り、霊能力をどう評価するか、どう付き合うか、それについて私の考えを述べるのが主題である。
 そもそも霊能力とは何か。それは、神や霊を見たり、そういったものと話をしたりする能力や、予言の能力や、医学に頼らずに病気を治す能力などを指す。いずれも科学では説明出来ない力である。霊能者の中には教祖になって巨大な教団を率いる人もいれば、個人で人々の悩みの相談にのるようなことをしている人もいる。
 では、霊能力は存在するか。非科学的だと真っ向から否定する人も多い。確かにずいぶんいい加減な怪しげなものもある。私自身は学生時代すべての信者を霊能者にする宗教で活動してきたので、存在するという立場に傾いてはいるが、絶対にあると言い切るつもりもない。ただここでは一応あるという前提で話を進めていきたい。
 まず結論を言ってしまおう。霊能力は人の数ある様々な能力と同等のものである。それ以上でも、それ以下でもない。尊重には値するが、別格の、異次元の価値をもつものではない。不治の病を治すような偉大な霊能力も、オリンピック選手の体力やアインシュタインの知力などと同列に論じるべきものである。
 霊能力や霊能者をやたらにありがたがる人もいるが、霊能者も普通の人間と何も変わらないということだ。それは体力や知力に優れているからといって、その人が能力のない人よりも人として価値があるわけではないのと同じことである。
 霊能力は神から与えられたもので、他の能力とは違うという反論があるかもしれない。それが霊能力を特別視する根拠ともなっている。しかし、そういうことは証明出来ないし、それなら芸術家の感性も賢者の人の心を読み取る洞察力も神から与えられたものと解釈すれば、結局みな同じ性質のものということになりはしないか。霊能力は科学でとらえられない異質で高級なものだという意見もあるかもしれない。それでは、人のもつその他の能力はすべて科学で解明されているかというと、そんなことはないだろう。例えば創造力がどういうもので、どこからどのように生まれるかということは全く分かっていないはずである。
 霊能力は人を救うこともある。病気を治すことなど、その代表的な例である。私は霊能力を積極的に活用することが悪いとは思わない。私自身も色々と恩恵を受けてきた。ただ霊能力をむやみにありがたがる人は過大評価をする傾向があるように思う。だが霊能力ですべてが解決するわけではない。
 霊能力が特徴の宗教も多いが、宗教の究極の目標は、人々を心安らかに暮らせるようにすることであろう。しかし、霊能力で人々の心をそのように作りかえることは出来ない。確かに霊能力で病気を治せば、その人の心配は消えて、安らかに暮らせるようになる。しかし、また別の病気にかかれば、元の木阿弥である。霊能力は、不安をもらたす外部の原因を取り除くことは出来ても、心を改造して常に安心立命の境地にとどまらせるようなことは出来ないのである。
 人格の高い人づくりを目標にしている宗教も多い。しかし、この目標に対しても霊能力は全く無力である。信者を人格者にしてしまう霊能力など聞いたこともない。そもそも霊能者自身が人格者であるとは限らない。霊能力で人助けをして、それを通して心を磨いている人もいるが、霊能力ゆえにおごってしまう人もいるのである。特別な能力をもっているという意識で慢心するのであろう。
 また、怪しげな「お告げ」に振り回されて、家族も財産も失ってしまう人もいるが、こういう「霊能力」は論外である。予言が外れたり、治療に失敗したりすることもよくある。霊能力に頼るのもいいが、そこには危険な側面があることも知って、常に理性を働かせておくべきだろう。
 霊能力が何かの証明になるわけではない。自分が神の子や最高神の生まれ変わりや救世主であることの証明として霊能力を持ち出す宗教家もいるが、これも過大評価というべきで、どんなにすごい霊能力であっても、証明にはならない。
 自分が神であることなどそもそも証明不能であるというのが第一の理由だが、ここまで述べてきたように霊能力に限界があることや人格の高さを保証するものではないということも理由である。
 目の前の相手が神であると信じるのは個人の自由で、そうしなければ信仰も始まらないが、霊能力があるという理由のみで信じるのは危険ではないかと思う。
 テレビの番組によると、海外には国家公認の霊能者がいて、犯罪捜査に協力しているそうだ。その番組がどれだけ実情を伝えているかは分からないが、霊能者は宗教者の雰囲気は余りなく、周囲もあがめたりすがったりはせず、普通の人に接しているかのように見えた。もちろん霊能力など非科学的だと頭から否定しているわけでもない。霊能力や霊能者の位置づけとしてはそういうのが健全なのかもしれない。
 霊能力は、特別視や過大視するのではなく、人のもつ能力の一つとして冷静にとらえるべきである。

2003・8・6


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