随筆

『中年以後』/曽野綾子/光文社知恵の森文庫

 人は、中年になってようやく人間としての眼力がつき、人生の価値判断が完成していく。肉体の衰えと引き換えに、魂が輝きを増す。−これは、「徳」のある大人の心を描いたエッセイです。著者は、若い頃から老成しており、41歳にして「戒老録」を綴りました。その後自分を律して生きてきた体験に基づき、本書では、人生の複雑さや味わい深さを、作家ならではの観点で分析しています。
 中年の入口にようやく足を踏み入れた私にとっては、道標とも言えます。「中年以後は人生がどうなってもよくない面があり、どうなってもそれなりにいい面がある、という不透明な面白さがわかるようになる」。挫折の連続であろう後半生に、心の片隅に留めておけば、立ち直りも早くなることでしょう。(橘まあこ)

『いまを生きる言葉 「森のイスキア」より』/佐藤初女/講談社

 『ショコラ』という映画があります。これは、女主人公が、甘くてとろけるチョコレートで頑なな村人の心を開かせていくお話です。人間はおいしいものを食べると、少しずつ心が開かれていくもののようです。著者の佐藤初女さんも、おいしい食べ物で人の心を癒されてきた方です。彼女のおにぎりを食べて自殺を思いとどまった方もあったそうです。本書はそんな風に食べ物で人の心を開かせてきた佐藤さんの語録になっています。クリスチャンでもある彼女の言葉は、いのちについて語ります。「食べることは、いのちをいただくこと」。佐藤さんの言葉は、おいしい食べ物のように心を開かせてくれます。生きているのが辛くなった時、どうぞこの本を開いてみてください。物語ではありません。言葉がひとつひとつのお皿に乗っているだけではありますが、きっとお口に合う言葉が見つかると思います。「生活の中にこそ、祈りがあります」。私の心を開かせてくれた「おいしい」言葉でした。(ひなぎく)

『いのちに限りが見えたとき--夫と「癌」を生きて--』/星野周子(かねこ)/サイマル出版会

 著名人や医者の闘病記録は多く世に出ていますし、一般人には考えられないような、その時々の最善の治療を受診出来る幸せに、彼等彼女等は恵まれています。そして、その書き手が本人自身の場合が大半のように思います。それが医師の場合は、専門用語が多く、問題意識も医師としての立場からの視点で貫かれています。本著は、脳腫瘍の世界的権威の医師が、胃癌から全身癌に侵されて亡くなるまでの六年間の闘病生活の現実を、看病を続けた妻の目から、飾りの無い文章で過不足無く書かれている夫婦の絆の物語です。
 病状、治療について、何日目に何処がどんな具合に副作用が出て、体調を崩して、どのようになるのか、手術や放射線治療後に、何故下痢をするのか、何故頭髪が抜けるのか、リンパの移転とはどのような意味なのかなどを、具体的かつ克明に描かれています。それらを理解し、納得できれば、要らぬ不安を払拭し、安心につながる癌治療の手引書としても、充分読むことが可能です。
 病状の進行に従って、クオリティ・オブ・ライフ(充実した人生)選択遂行と、安楽死、尊厳死、鎮痛剤モルヒネの使用、延命治療の意味と是非、終末治療の問題について、看護する側の家族のあり方と関わり方に視点を置いて、医師の言葉ではなく、平易な言葉で綴られています。
 人は誰しも『良い人生だった。ありがとう』と、最愛の伴侶に言って、最後を締めくくりたいものです。そうなるまでには、夫婦互いに、いくつもの葛藤と苦悩があります。本著は、最後まで諦めずに、建設的に意欲的に生きて来た男と、その妻の二人三脚の愛情物語と、私は思えてなりませんでした。(下町カラス)

『再婚トランプ--恋と夫と子供たち--』/青木裕子/朝日新聞社

 自分史の好断片の作品だと思います。再婚相手と出会って再婚し家庭を築くまでの数年間を、火中にいながら、冷静に正直に自分を見つめ書き切った点に、私は好感を持ちました。著者の家庭の一員(立場が異なるので)が、同じ期間のことを書けば、違った印象を与える内容になると思います。が、著者ほど、冷静に自分や相手のことを描けるかと問えば、本著の存在価値が見えてくるように思います。著者はNHKのアナウンサーです。(下町カラス)

『フォトエッセイ 「出会い」〜出会いは可能性という無限の扉を開いてくれます〜』 /詩・文:高麗恵子/写真:斎藤忠光/現代書林

 言葉ひとつひとつにふれる度、つい忘れてしまいそうな純粋な気持ちを取り戻すことができました。読む度に深い感動があり、悲しみから喜びに変わる生命を感じます。斎藤忠光氏の写真も美しく、自然の光そのものをとらえ、表現しています。正に光と光との出会いが写真と言葉によって表れているフォト・エッセイです。(三村律子)

『木のいのち木のこころ 天』/西岡常一/草思社

 著者は法隆寺最後の棟梁。法隆寺の解体修理、法輪寺の三重塔の再建、薬師寺西塔の再建などを手がけた名工。 著者の語る飛鳥時代の宮大工の智恵の深さには圧倒される。これを読むと、現代日本の社会が何から何まで先人の叡智に背いて突っ走っているように感じられてしまう。日本人必読の書、と言っても過言ではない。 (荻野誠人)

『日本の面影』/ラフカディオ・ハーン/角川文庫

 昔買った文庫本を引っ張り出して読んでみました。彼、小泉八雲の描写力によるところ大ですが、明治初期の日本はかくも美しく、こんなにも純粋で透明であったのだ。と感じ入っています。自然の情景のみならず、日本人の微笑を描写しているところは既に忘れ去ってしまった、心の源風景を再生しているかのようです。ともすれば曖昧である、非論理的である、といって西欧的価値観をもってして、切り捨てる事をしいられてきたその微笑を西洋人である彼が深い洞察と慈しみをもって描いているのです。ちょっと、また、この微笑を大切にしたいなどとおもっています。(小林昭司)

『知的生産の技術』/梅棹忠夫/岩波新書

 情報処理の方法について述べた著名な書。二〇年前に書かれたので、パソコンが存在しないことが前提になっているなど、時代背景を感じてしまう部分もあるが、おおいに啓蒙されるところがある。ぜひ一読をお勧めする。(上杉守道)

『道をひらく』/松下幸之助/PHP

 世の中には、一度読めば十分で二度と読みたくならない本がたくさんある。その形は漫画、雑誌、単行本など様々だが、私はこれを「お菓子の本」と呼んでいる。面白いものが多くて時間やお金をたくさんつぎ込んでしまうが、後には何も残らない。一方、味付けはそっけないが、何回も読み返したくなる本もある。こちらもその形態は様々である。私はこれを「ご飯の本」と呼んでいる。もちろん、「ご飯の本」ばかりが良いもので、「お菓子の本」がけしからんというつもりは毛頭ない。しかし、大切な心を育てて行くためには、「お菓子の本」ばかりでは不十分だと思う。
 この『道をひらく』は、著者がつかんだ人生観を、平明な言葉で簡潔に綴ったものである。だから、数時間あればすべて読み通せてしまう。だが、この本の内容のすべてを理解するには一生をかけても足りないかもしれない。この本は、説明、根拠、言い訳などが省いてあり、いわゆる「答」しか書いていない。だから、一気に読んでしまうことができるし、書いてあることにも難しいことは何一つない。しかし、読者が日々の生活で色々なことにめぐりあったときにふと思い出してゆっくり読み返すと、そこに書いてある「答」の意味が、なるほどそういうことだったのかと腑に落ちる、といった類の本である。
 書いてある「答」を理解するのは非常に易しい。が、その「答」の意味が本当にわかったと思えるときは、読者が著者に共感をおぼえる文字どおり感動の一瞬である。
 私とPHPとは何のかかわりもないが、この本はふとしたきっかけで読んでみてすっかり気に入った「ご飯の本」の一冊である。(上杉守道)

『こころの手帖』/武田鏡村/ガイア

 心について改めて考えたい時に一読してください。数々のエッセンスはきっとあなたの心に訴えかけます。人生の友となる一冊です。できれば、誰もが持ってほしい本です。「孤独は、こころのふるさと」--この言葉が、落ち込んだ時、私の心の支えになっています。(井上睦美)

『ベスト・エッセイ集』/日本エッセイスト・クラブ編/文春文庫

 全国の新聞、同人誌、機関誌に載った作品を選びに選んだものだそうで、確かに珠玉のエッセイ集である。八七年版の帯には「文章の腕くらべ--全国のプロとアマが競い合う読書グルメのための珠玉の五九編」とある。
 一人の著者が書いたエッセイ集だと、その人の世界観、人生観が固定されるが、本集は多岐にわたるジャンルの人の手になるものだけに、広角レンズでよい景色を見るようで、感動も広々としてくる。続刊されていくようで、八三年よりはじまり「耳ぶくろ」「午後おそい客」「人の匂い」「母の加護」「親父の値段」と続く。(向井俊博)

『みんなが忘れてしまった大事な話』/森 毅/KKベストセラーズ

 著者は、数学者として長年暮らした京都大学を退官し、いわば「いいおじいさん」になるための修行中の身なのだそうだ。で、この本は、最近気になったことへの著者なりの感想を集めてあるという。肩の力を抜いて読んでほしいと著者は読者に注文している。
 確かに一つの本にはなっているが、中身は短い文章の集まりである。しかも、なるほど著者なりの視点に立って世の中を見ている、というアジがよく出ている。
 ものごとのとらえ方の中には、直線的な見方がある。直線的というよりは、むしろ型にはまった価値観というか、教えられたとおり、習ったとおり、世間で言われているとおり、というものごとのとらえ方である。そのような価値観も意味のないものではないが、それだけでは行き詰まってしまうことがある。その端的な例は、いわゆる社会における競争に敗れたと感じたときである。そんなときは、敗者としての惨めさを味わうことになるのだが、実はそのときこそが自分の価値観を転換し、人生をより豊かにするチャンスなのだ、というあたりが、この本を読んだ私の感想である。
 よく勉強して、良い学校に進学して、良い会社に就職して(「勉強」を「スポーツ」「芸術」などに置き換えてもよい)・・・・という直線的な人生観や、自分の将来について硬直したイメージしか持ち合わせていない人が、「人生航路の事故」にあってしまったときに役に立つかもしれない。もっとも、人によっては、この本を読んでおいても何の役にも立たず、単なる時間つぶしにしかならないかもしれない。ただ、世の中には変な考え方をするオッサンもいるもんだと思うことは、間違いないと思う。
 いずれにせよ、最近読んでみて面白かった肩のこらない本である。(上杉守道)

『途中下車の味』/宮脇俊三/新潮文庫

 「万事未定、下車駅未定」で、出版担当者と山陰、東北から九州のローカル線まで、気が向いたところで途中下車していくさまをつづったもの。「既成の観光旅行を越えた旅の味」が伝わってきて、思わずひきこまれてしまった。著者は日本ノンフィクション賞を受賞、多くの旅行記を出されている鉄道旅行マニアとはこの本で初めて知った。(向井俊博)