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乗り換え

上杉守道

JRの千葉駅は、総武線各駅停車の終点である。さらに、下り方面の列車の始発駅でもあり、総武快速線を下ってくる快速や特急の主要な停車駅でもある。また、京成線の千葉駅もすぐ近くにある。そんな千葉駅で、乗り換えの人々は非常に急ぐ。私もかつては時刻表をよく見て、乗ってきた電車のドアが開いた途端に全速力で走り、一番早く出る電車にぎりぎりで飛び乗っていた。余裕がないので、時には自分の進路上にいる人に接触してしまうこともあった。遅刻を気にする朝だけではない。夕方もそうだった。しかし、私の職場は遅刻に対して非常におおらかだから、事実上遅刻など心配する必要はなかったのだ。なぜそんなに急ぐのだろう?自分でもわからなかった。だが、なんとなく急がずにはいられなかったのだ。

そんな私が、病気で入院した。手術の必要から肋骨を二本取られた。別の理由から呼吸困難に陥った。約一ヶ月寝たきりになった後、もう起きて良いと言われても、自力では起き上がれなかった。ようやくベッドに腰掛けられるようになって、立ち上がろうとしたら、今度は腰が上げられないことに驚いた。やっと歩けるようになってから、放射線照射に約一ヶ月半通った。放射線 照射が終わって、数週間過ぎてから退院をゆるされ、自宅療養になった。もう通勤して良いと言われたのは、入院してから五ヶ月後だった。

久しぶりの出勤は期待よりも不安がいっぱいだった。とくに、駅の通路や階段では人の流れが恐ろしかった。かつて自分がやっていたように先を急いで小走りで行く人がいると恐ろしい。なにしろぶつかられたりしたらひとたまりもないのだ。足も弱っているし、肺活量も減っている私にとって駅の階段は最大の難所だ。そこをのぼっている間は足を動かすのがやっとで、素早くよけることなど思いもよらない。かつての自分がどんなことをしていたか改めて思い知らされる感じがした。歩くことさえままならない人の立場を私も少しは理解するようになったのかもしれない。それと同時に、どうして人はあんなに急ぐのか、改めてわからなくなった。どうせ、長くても二十分も待てば次の電車が来るのだ。その程度自宅に早く帰ってどうしようというのだ。

入院中に私は生き方を乗り換えたのだと思う。仕事を含む生活のすべてにおいて、以前の私は常に無理して走ることばかり考えていた。たしかにそうした生き方はいろいろな能力を伸ばすことができるし、それなりの成果をあげてきたと自分でも思う。だが、こんな生き方ではいずれつまずくとわかっていたし、実際に病気というかたちでつまずいてしまった。病気をしたあとの私は立ち止まったり歩いたりすることをおぼえたように思う。この新しい生き方によって自分がどこへ行くのか、この生き方がいつまで続くのか、私にはわからない。だが、以前の生き方よりは自分本来の姿に近いような感じがして気に入っている。


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