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肉食否定と肯定について

荻野誠人

 テレビ番組で釣りを見ていると、獲物を釣り上げたとき、初心の釣り人はたいてい大喜びする。その様子に思わずいっしょに微笑んでしまう視聴者もいるだろう。だが、中には、魚を哀れみ、釣り人に批判的な視線を向ける人たちもいるのだろうか。私自身は、甲板をばたばた跳ね回る魚を見ると、多少の哀れを禁じ得ない。と言って、釣り人を非難しようとは思わない。そもそも私自身が魚を食べるのだから。
  世に菜食主義者と呼ばれる人たちがいる。その中には、自分の主義を実践しているだけで、他人には口出ししない人たちもいる。一方、肉食を批判し、止めさせようという人たちもいる。
  その批判の最も重要と思われる根拠は、食べられる動物が苦痛を感じることである。そういうかわいそうなことを万物の霊長としてやってはならないというわけだ。植物の方は痛みを感じないので、食べてもかまわないという。
  動物への愛情から、肉食をしないというのなら、それは立派な行為だと思う。特に、肉や魚を愛好していた人が、動物のために肉食をあきらめるのなら、その克己心は大変なものである。尊敬してしまう。
  しかし、肉食動物が草食動物を食べるように、人間も自然界の一員なのだから、肉を食べたところで、非難されるいわれはないというのが私の考えである。肉食は、善行ではないけれども、悪行でもない。自然な行為と呼ぶべきものだろう。
  肉食否定の人は、動物に苦痛を与えるからいけないというが、私は苦痛を与えることは、食べるためなら許されると思っている。この二つの主張が交わることは難しい。もっとも、苦痛はできるだけ少ない方がいいと思うが。
  泥棒してはいけない、という主張は他人に強制することができる。しかし、募金しろ、という主張を強制することはできない。それと同様、肉食を批判するのは自由だけれども、強制にならない範囲でするべきものだろう。
  (なお、肉食は健康に悪い、環境に対する負担が大きい、といった様々な反対の理由も承知しているが、この文章ではふれなかった。ここで取り上げた根拠が最も根本的なもので、まずそれについての考えを示すことが大切だと考えるからである)

2010・12・12

 


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