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私がネットで年齢を言わない理由

荻野誠人

 私はけっこう長くインターネットのお世話になっている。当然、次第に年齢が上がってきて、出会う人よりも年上である場合が多くなってきている。だが、ネット上では自分の年齢を必要でない限り言わないことにしている。見栄を張ってるんだろう、と言われるかもしれないが、それは多少は認めるものの、主な理由はもっと別なところにある。
  それはまず、率直にどんどん意見を言ってもらいたいからである。年齢を言って、相手よりもかなり年上の場合、どうしても相手に遠慮が生まれるのではないか。少なくとも私はそうである。
  人は老人になれば成長しなくなると一般に言われている。それは、肉体的・精神的な衰えが最も大きな原因だとは思うが、年をとればとるほど、意見を言ってもらえる機会が少なくなることも一因なのではないか。当人にずけずけ意見を言える親や上司や先輩といった年長者は世を去ったり引退したりして段々少なくなっていく。一方、年下の人間は人生の大先輩と呼べる年齢に達した人間に対して遠慮があって、なかなか意見を言えない。こうして老人は自分を改善するきっかけを失っていくのである。
  私は人生の大先輩というにはまだ相当の間があるけれども、遠慮なく意見を言ってくれる人が周囲に次第にいなくなってきたことは感じている。放っておけば、それがさらに減るのは自然の成り行きであり、年齢不詳にしておくのは、なるべくそうならないようにというささやかな工夫なのである。
  さらにもう一つの理由がある。それは、年齢を意識せずに、互いに等しく尊重し合う人間関係が築けないかという期待である。
  私は実社会における長幼の序というものを否定するのではない。それはよい伝統としてこれからも受け継がれてほしいと思っている。しかし、ネットという新しい交流の場では、これまでの常識にとらわれない人間関係が生まれてもいいのではないかと思うのである。
  年齢にこだわらないと言っても、礼儀や思いやりを無視していいわけはない。私が思い描いているのは、それまで年齢で態度を決めていたのを、相手が人であるというただそのことだけで、相手を尊重する関係なのである。当然互いに等しく尊重し合うことになる。そういう人間関係には、上記のような率直な意見交換が期待できるし、それまで単に年上であるというだけで年下の人に対して偉そうな態度をとってきた年長者の反省の機会にもなるだろう。年上という「優位」を捨てるのだから、年長者にとって損ではないかと感じる向きもあるだろうが、私は逆に、この人間関係においては年長者の得るものが非常に多いのではないかと思う。 
  実際には、尊重どころか、匿名をいいことに、無礼な対応をしてくる人も多い。だが、一方では、私の期待しているようなことがとっくに実現している人間関係もあちこちに生まれているようだ。私も、年齢不詳の人たちに対しては、礼儀作法や相手の気持ちに気を配った上で、言いたいことを言うという態度で接していて、中には悪くない関係が築けている場合もあると思う。一方的な思い込みかもしれないが。
  それが従来の実社会の人間関係よりも優れているかどうかはにわかには判断しがたい。しかし、新しい人間関係であることだけは確かだろう。だから、そこにはそれまでにはない可能性が秘められているのではないか。その点に私は魅力を感じるのである。

             2009・6・6

 


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