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夏のいらだち

荻野誠人

 私は夏が嫌いだ。夏になるとどうも機嫌が悪い。暑さもいやだが、それ以上に服がベトベト肌に引っつくのが気持ちが悪い。夏はスカート姿の女性がうらやましい。冬は逆に気の毒だが。夏になるたびに何とか夏のない所へ引っ越せないものかと思案するのだが、いつも自分の財力のなさを痛感して終わりになる。

 もう10年以上も前の話である。
 私は外国から帰ってきた。だが、小学生の頃から住み慣れた家はなくなっていた。駅から5分の、庭の広い南向きのいい家だった。代わりに私を待っていたのは、以前の家と比べて何一ついいところのない家だった。駅からは15分、猫の額の庭だった。引っ越しのことはあらかじめ手紙で知らされてはいたが、やはり寂しい気持ちになった。
 もっとも、その時は家のことは余り気にならなかった。帰国したばかりで、色々しなければならないこともあり、気持ちの余裕がなかったこともある。それに帰国した時は冬だった。
 その家で母と弟との暮らしが始まった。
 夏が近づくにつれて、私の機嫌は悪くなっていった。梅雨があけた。炎天下を15分も歩けば、ビショビショである。歩いているうちに怒りがこみ上げてくるようになった。なぜこんな嫌な思いをしなければならないんだろう。前の家なら、汗をかく前に着けたのに。どうしてこんな家に引っ越したんだ。おまけに新しい家は西向きで、ひさしすらなかった。強烈な西日が差し込む。私は夏の間中雨戸を閉め切りにした。知り合いの大工が建てた以前の家は、住む人のことを考えて建てられたのだなと感じた。
 引っ越した理由は簡単に察しがついた。家族の不始末である。世間体を気にする母は前の家にいづらかったのだろう。だが、不始末といっても近所に迷惑をかけたわけではない。単に体裁が悪いというだけのことだ。世間体などどうでもいい私は大いに不満だったが、引っ越すのは仕方がない。家は私の財産ではないのだから。しかし、同じ引っ越すのなら、どうしてもっとましな家を選ばなかったのか。別にお金がないわけではなかった。これも大体の想像は出来た。余り考えずに決めてしまったのだろう。そういう人だった。他人の意見に影響されることも多かったから、不動産屋の話に簡単にのってしまったのかもしれない。
 尋ねることはしなかった。一旦切り出したら、とことん責めることになりそうだったからだ。それに尋ねたところで、もうどうしようもなかった。
 だが怒りがおさまるわけはなかった。アスファルトの自分の影をにらみながら歩いていると、未練がましいと思っても、前の家に戻りたいという気持ちがわいてきて抑えようがなかった。同時に昔他人の未練がましさを批判していたことが思い出された。
 玄関のドアを開けた時は、いらいらは頂点に達している。居間に入って母と顔を合わせると「すごい顔してる」「もっと朗らかな顔しなさい」などと言ってくる。「うるさいなあ」とつっけんどんにやり返す。これがしばしば繰り返される。冷房が効いていないと、「どうしてつけてないんだ」と刺のある口調で文句を言う。こんな小競り合いを続ける自分に私はさらにいらだった。
 私は家に対する不満を全く言っていなかったわけではない。それでも母は私の不機嫌さに家がからんでいるとは思っていなかった。なぜあんなに怒るのだろうと不思議だったことだろう。確かにいい迷惑である。しかし、「俺が怒る理由は、この家だ」などと程度の低いことが言えるはずもない。しかも、一旦そう言ってしまえば、今度は私が帰宅して不愉快な顔を見せるたびに傷つけることになってしまう。
 では、黙るついでに仏頂面もやめれば、万事丸くおさまるではないかと言われるかもしれない。その通りである。それが出来る人も大勢いるだろう。しかし、私はそこまで人間が出来ていなかった。それに、こんな不愉快さに堪えているのだから、顔ぐらいいいじゃないか、どうして自分一人が我慢しなければならないんだという気持ちもあった。
 そんなに不満なら、出て行けばいい。だが、そう簡単にはいかなかった。弟は結婚して独立することが、私が外国にいる間に決まっていた。正直言って独り暮らしがしたかった。私は子どもの頃から両親とは余りうまくいっていなかった。再び海外へ行く話もあった。しかし、老人一人置き去りにするのは、いくら私でもためらわれた。虫のいいことに、貧乏人の私の心には、家賃を払わなくて済むから助かるな、という気持ちも生まれた。
 最初の夏はこうして過ぎた。二度目の夏も同じことだった。私は自分に失望した。自分が普段下らないと思っていることをやっているじゃないか。家ぐらいで何をぶつぶつ言っている。もう過ぎたことだ。それに貯金も出来ているじゃないか。そもそも年寄りに当たるとは何事だね。しかも去年と同じで、何の進歩もない。
 自分はもう少しましな人間だと思っていたが、この頃から自分の限界を自覚し始めたようだ。
 しかし、このままほったらかしにするのでは、低次元な衝突の日が続くことになる。色々考えた末、私は一つの解決案を思いついた。一番機嫌の悪いのは帰宅直後だ。その時母と顔を合わせなければいい。そこで帰宅すると風呂場に直行することにした。幸いそういう家の造りになっているのである。さっぱりとした気分で風呂から上がると、かなり気持ちがおさまっているのに驚いた。母ともけんかにならなかった。馬鹿馬鹿しいほど簡単な方法だった。「ただいま」も言わずに風呂に入るのは妙といえば妙だが、このやり方を続けることにした。
 状況も私の性格も不満も何も変わってはいなかった。だが、母とぶつかることはかなり減った。

                              2002・1・11


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