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戻ってきた少女(天使の修業その4)

荻野誠人

 ピコエルは、神様や天使がよく集まる部屋に呼び出されました。
 「今日は先生ですか。」
 とピコエルが、待っていたいやしの天使に笑顔で言いました。その優しそうな顔をした天使はふだんピコエルに健康や医学について教えてくれるのでした。気さくで親切なので、天使候補の少年少女から一番したわれていました。部屋のテーブルの端にはなぜか本が置いてあって、表紙には悲しそうな顔をした女の子が描かれています。しばらくして、テラエルが戦いの天使との訓練を終えて入って来ました。何だか歩き方が変です。
 「テラエル君、どうしたんですか。」
 「いや、たった今まで座禅を。」
 と決まり悪そうな笑いを浮かべました。
 「ああ、なるほど。あの人は必ずそれをさせますからね。」と愉快そうに笑いました。「まだしびれているのに悪いんですけど、また少し勉強してきてください。」
 二人は「はい」と答えました。ピコエルが何か聞きたそうにした瞬間、二人の姿は消えました。ピコエルは何だか吸い込まれるような感じがしました。

 気がつくと、雪の降る夜の町に立っていました。煉瓦作りの建物が並んでいます。ところどころに街灯がともっています。目の前を馬車が通り過ぎました。ここは一体どこだろう、今はいつだろうと二人は思いました。すると、金髪の少女が二人の方へふらふらと歩いてきました。手にはマッチの束を持っています。二人は驚いて思わず顔を見合わせました。もう一度女の子を見ると、やはり裸足です。「ひょっとして、僕たちは昔読んだお話の世界に・・・。あ、あの本か。」とピコエルは気づきました。でも、驚いている場合ではありません。たとえ本当の世界でなくても、目の前のかわいそうな女の子を放っておくわけにはいきませんから。
 二人は立ったまましばらく無言で考えていました。まずテラエルが女の子に近づいていきました。女の子は吹雪の中から現れた大男にびっくりしましたが、マッチを買ってくれると分かると、嬉しそうな顔をしました。でも、もうその顔にはまるで生気が感じられません。テラエルは気の毒そうな顔をしてマッチを一束買うと、女の子の家の場所を聞きました。テラエルは女の子から離れると、ピコエルに手を振って、一人で女の子の家の方に歩いていきました。
 「なるほど、お父さんをどうにかしないと結局解決にならないもんね。確かにあいつの役目だな。」と思いながら、ピコエルは女の子の後をそっとついていきました。ぜひとも助けないと。天国がどんなにすばらしいところだと言っても、あんな悲しい行き方をすることはないよと思いました。ふと、人の命に関わるのはこれが初めてだと気づくと、急に胸がどきどきしてきました。

 女の子はとぼとぼと歩いていきました。その夜売れたマッチは、つい先ほどテラエルの買った一束だけでした。これではとても家に帰れません。お金をたくさん渡さなければ、お父さんにひどくなぐられるのです。
 ピコエルは今にも倒れそうな女の子がかわいそうでしかたがありませんでした。でも、直ぐに飛び出して行って助けてあげたいという気持ちを何とかおさえました。今助けたら、女の子は最後の場面でおばあさんに出会えなくなってしまうからです。ピコエルは、おばあさんといっしょに天国を見たという思い出が、これから女の子の強い心の支えになるに違いないと思っていたのです。助けに入るのは天国に行く寸前だと決めていました。それに、もし今いるのが本の中の世界なら、女の子はおばあさんに会うまで亡くなることはないという思いもありました。
 とうとう女の子は力尽きて、二軒の家の間に座り込みました。そして、マッチを次々にすり始めました。いよいよだと思うと、ピコエルは胸が苦しくなって、ふつうに息ができなくなってきました。その上、突然現れた自分の願いをおばあさんが聞いてくれるかどうか分からないことに気づいて、ひどく心配になっていました。驚いて逃げ出されたら、どうしよう。
 マッチの輝きの中に、ストーブやごちそうやクリスマスツリーがかわるがわる現れました。最後に女の子のおばあさんが一段と強くなった光の中に現れました。
 ピコエルは音もなく女の子の後ろに立ちました。おばあさんは少しも驚かず笑顔でうなずきました。ピコエルはおばあさんにささやきました。緊張と寒さでうまく口が動きません。
 「お、お孫さん、は、僕が必ず、必ず助けます。天国は、見せてあげて下さい。でも、入り口から引き返して、ここへ戻ってきて下さい。お願いします。」
 おばあさんはまたにっこりと深くうなずいて、女の子を抱くと、空に昇っていきました。ピコエルは、自分の願いをあっさり聞き届けてもらえたので、拍子抜けしてしまいました。ぐっしょりと冷や汗をかいていることに気づきました。

 しばらく昇っていくと、頭上に光の点が現れました。それはどんどん大きくなって、その中に地上の人たちのあこがれの場所が見えてきました。
 「あれが、私やお前のお母さんが今住んでいる天国だよ。きれいだろう。」
 女の子はうっとりと天国を眺めていました。
 「天国には病気も貧乏もないんだよ。何も心配せずに、毎日、楽しく暮らせるんだよ。・・・でも、今はお前を天国に入れることはできないよ。」
 「え、どうして。」
 女の子は驚いて、悲しそうな顔になりました。
 「お前にはまだ地上ですることがあるんだよ。これからお前が愛する人や、お前を愛する人が地上で大勢待っているんだよ。その人たちをみんな幸せにしてあげなさい。そうしたら、神様もお喜びになるよ。もちろん私も嬉しいよ。もし今天国に来たら、お前はお前の赤ちゃんにさえ出会えないんだから。」
 「・・・」
 「約束するよ。いつか必ず天国で会える。それまで神様や天使様や私がお前をいつも見守っているからね。つらいことがあったら、美しい天国と私たちのことを思い出して乗り越えるんだよ。」
 女の子はかすかにうなずきました。そして眠りに落ちました。

 おばあさんは地上に降りてくると、女の子をピコエルに渡しました。ピコエルは、女の子の体が暖かいので驚きました。天国やおばあさんの光で暖まったのでしょうか。
 「どうもありがとうございました。」
 とピコエルは女の子が助かったのでほっとして頭を下げました。
 「いえ、お礼を申し上げるのはこちらの方ですよ、ピコエル様。誰がかわいい孫を、こんな小さいままで天国に迎えたいものですか。助けに来てくださって、本当にありがとうございます。では、これからも孫をどうぞよろしくお願いします。」
 おばあさんは女の子の家を教えて、丁寧にお辞儀をすると、天国へ昇っていきました。ピコエルは眠っている女の子を横抱きにして、おばあさんを見送りました。そして、女の子の家に急ごうとした時、ふと、なぜあのおばあさんは僕の名前を知っているんだろうと思って振り返りました。でももうおばあさんの姿は見えなくなっていました。

 突然現れた、金色のまぶしい光を放つ、天井につかえそうな大男を前にして、女の子のお父さんは青ざめていました。テラエルは、この男のせいであの女の子が死んでしまうのかと思ってお父さんをにらみつけました。怒りがわいてきました。お話の世界なんだから、少しこらしめよう。
 「お前は教会へ行くことがあるだろう。」
 部屋中の物が震えるような声でした。
 「は、はい。」
 「それなら、私がどこから来た者か分かるだろう。」
 「え、ええ、もちろんでございます。」
 「お前は娘をなぐるそうだな。」
 「いえいえ、そんなことは。いえ、すみませんでした。お許しください。」
 「お前のために雪の中を懸命に働いてくれる幼い我が子をなぐるとは何ごとだ。父親にあるまじき行い。」
 「お、お許しを。二度といたしません。」
 お父さんは、両手の指を組んで拝むようにして言いました。
 「神はお怒りだ。」
 とテラエルはずしんと一歩お父さんに近づきました。
 「・・・・・・」
 「ん?」
 お父さんは気を失っていました。
 「あー、ちょっとやり過ぎちゃったかなあ。・・・今さら助け起こすのも変だしなあ。まいったなあ。・・・ピコエル、早く来てくれないかなあ。」
 テラエルがぼんやり立っていると、しばらくして女の子を抱いたピコエルが現れました。ドアの開く音でお父さんは気がつきましたが、見知らぬ客がもう一人増えているので、床に座ったまま思わず後ずさりしました。ピコエルはろくに家具のない部屋を見回して、言いました。
 「お父さん。色々と事情があるとは思います。マッチ売りをさせるなとは言いません。でもなぐるのだけは絶対にやめてください。娘さんはあなたがこわくて、家に帰れずに、危うく凍え死ぬところだったんですよ。」
 その知らせには、さすがに驚いたようでした。
 「そうでしたか。」
 お父さんはうつむきました。手が震え始めました。ピコエルは少女を固いベッドの上に下ろしました。テラエルは上着を脱ぎました。
 「これを置いていく。毛布の代わりにでもするがいい」
 その上着は少女の体をすっぽりとおおってしまいました。
 「クリスマスプレゼントとでも思って下さい。では、私たちはこれで帰ります。でも、天は娘さんをいつも見守っています。それを忘れないで下さい。」
 「はいっ。」
 二人の姿はきらきら輝きながら、次第に消えていきました。

 いやしの天使が、戻ってきた二人を笑顔で迎えました。
 「ご苦労さまでした。ちょっと驚いたでしょう。しばらく休んで下さい。あとで意見や感想を聞かせて下さいね。」
 そして部屋を出て行きました。椅子に座ったピコエルはふと不安になりました。あれは本当に童話の中の世界だったんだろうか。それならいいんだけど、もし本物の世界だったら、あの女の子の苦労はこれからもずっと続くことになる。・・・じゃあ余計なお世話だったのか。・・・いやいや、やはり生きなければ・・・。
 テーブルの端にはまだあの本が置いてありました。でも、表紙の少女は微笑んでいました。そして、その後ろに二人の天使の姿が小さく描かれていました。

2008・6・17


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