人生は過ごすというより歩むと言った方が、能動的な感じがしてしっくりくる。歩む想像を重ねるとき、東山魁夷画伯の作品「道」が思い浮かぶ。
そこに描かれている道は一本道だ。淡い緑色のモノトーンで横たわる山と空に向かって、灰色の彩色でまっすぐに伸びている。その先は、右手に曲がって遠くへとさらに続いている。
「黙々と歩み続けるのが人生」をモットーにされた東山画伯が描かれたこの道は、 鑑賞の奥で人生の道を想起させる力を持っているようだ。
道の道とすべきは、常の道にあらず。老子の説く「道」は、深遠だ。
ものは区別するために名前をつけられ、限定されたものになる。しかし、ものの本質は名付けられる以前の無明にあると説く。
「道」も無明こそが本道で、玄奥の奥からあらゆる造化の妙が出てくるとする。
さらに説かれている。「道」は空っぽの器のようだが、無限の包容力を持ち、万物の生まれ出る根源(宗)に似ていると。
ここまで来ると、「色(実在界)は空(くう)なり」という般若心経の「色即是空 空即是色」の一節を連想してしまう。般若心経の示す「空(くう)」は、英語でも「emptiness」の言葉が当てられていて、文字づらは空っぽのイメージだが、本来は老子のいう「道」、果てしない無限の包容力を持つ器なのではなかろうか。
夜空に輝く星を見ると、宇宙の規模や起源を思ってわくわくする。ビッグバンとかビッグクランチとか、解き明かされつつある宇宙の神秘に驚嘆する。我々の身体が、過去に爆発した星の屑で出来ていると知ると、宇宙へのロマンをかきたてられてやまない。
現代宇宙論では、宇宙は無から誕生したとされる。無から有を生じさせ、その展開をキックオフした存在がいるはずだ。
ある日、近隣に忽然と家が建つ。これとて自然に建つわけではなく、 必ず設計者がいて、その意を汲んで素材を使って組み上げる大工さんがいるではないか。
遺伝子研究で有名な村上和雄博士は、人のDNAには、たった4種の化学物質の組み合わせで、膨大な情報が書き込まれているのに驚嘆され、それを書き込んだ設計者を「サムシンググレート」と呼ばれた。
宇宙の大元の設計者のもとに、遺伝子のようなパーツを設計する個別設計者が存在するようにも想像できるが、設計者をひっくるめて「サムシンググレート」と呼ぶのは、宗教くさくなくてなかなかよい言葉ではないか。
深奥の「道」なるものをしっかりと捉えつつも、我々は浮き世という色(しき)の世界にあって、人生の道をこつこつ歩まねばならない。見通せる悪路は避けるにしても、誰しもが登ったり下ったりの道を行く。
先日、ふと立ち寄ったレストランの壁に、こんな字句をおさめた額が飾られていた。
子供笑うな来た道だ
年寄り笑うな行く道だ
来た道行く道今日の道
あの世は遠く長い道
通り直しのできぬ道
免疫系に関与する胸腺をたたくと、やる気が俄然起きるのだそうだ。
これからの人生の道、胸をドンドンとたたきながら行くとしよう。
(2011.7.24)
【あとがき】
荻野誠人さんの心の風景、25年周年を迎え心よりお祝い申し上げます。小冊子から始まり、インターネットホームページへと続く長い道のり。読者をはじめご自身の文が共感を呼び、心のネットワークを築いて来られました。
たゆまぬご尽力を讃えるとともに、更なる発展を期してやみません。
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