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目の前の人

荻野誠人

 接客マニュアルを棒暗記した店員が、客にトンチンカンな応対をすることが以前笑いの種になった。私自身は余り滑稽な体験はないのだが、話がかみ合わないなという印象を受けたことは何度かある。とっくに千円札をカウンターに置いて待っているのに、「千円でよろしいでしょうか」ときたものだ。
  医者の中にはコンピューターの画面ばかり見て、患者をろくに見ない人もいるとこれも少し前から聞く。私自身は学生の頃、病状をある有名なお医者さんに訴えたのに、「(理屈からいって)そんなはずはない」と強く否定され、まるで相手にされなかった経験がある。
  どちらの例も、目の前の人に向き合っていない。交流していない。目の前の人が大事なのに、それ以外のものが優先されている。
  教師が生徒を無視して「教師用指導書」ばかり参考にする授業や、親が子供を無視して育児書ばかり参考にする子育てがあれば、それも同じ部類に入るだろう。
  マニュアルや教科書を軽視するわけではない。それは多くの人の智恵が集積したものだから、個人の力を上回っているし、積極的に学ぶべきだとは思う。しかし、どんなに優れた詳しい教科書でも、この世で唯一の存在である目の前の人のためにどうすればいいのか、ということまでは、教えてくれない。その人のために仕上げをするのは自分自身なのである。自分がその唯一の人がどんな人か、何を求めているのかを一人で判断して、その人に一番合ったものを提供していくしかない。
  では、どうやったら、そういう判断力を少しでも身につけることができるだろうか。私ごときでは、経験を積んでいくことが大切だとしか言いようがない。もうマニュアルのない範囲なのだから。
  時々テレビで見かけるが、熟練した職人さんは、何グラム、何センチ、何本などが目や手の感覚だけで瞬時に分かるのである。長い間の経験の賜物だろう。相手がどんな人でどうすればいいのか、ということも経験を積んでいけば、自ずと分かるようになっていくのではないだろうか。
  もちろん職人さんがそのような鋭い感覚を得たのは、前向きに学んでいく姿勢があったからだ。同じような力を得るためには、目の前の人に接するときは、自分の感性や知性を総動員する必要があるのだろう。
  世界で唯一の相手にぴったり合ったことが出来れば、それがマニュアルに書かれていない最高の応対になるのだろう。

2011・5・26

 


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