漫才考察 〜ブームの果てに〜矢内 孝 中田 じゃいけんぽん! ------勝った。君がパーで、僕がチーや。 平川 よし、勝った! 中田 なんでや? 僕がチーで、君がパーやで。 平川 なら聞くがな、チーより強いのは何や? 中田 グーやがな。 平川 グーより強いのは? 中田 パーや。 平川 ほれ見てみい。パーが一番強いのや。 中田 あれ? 僕は高校生の頃、漫才が大好きだった。その頃は漫才ブーム以前で、同級生からは「おやじの趣味」扱いされた記憶がある。僕のごひいきは、Wヤングだった。 中田 ------人を泥棒みたいに言うな。 平川 やめたんか? 中田 やめた。 平川 やめた? 中田 いや、やめてない、やめてない。 平川 やめてない? ほな、やっぱり------ 平川 エッ? Wヤングの一人、中田氏が借金を苦に投身自殺をした。 何で死んだんや! 訃報を聞き、入院中のベッドでのたうちまわる平川氏の姿がTVに映し出されていたのが、今でも目に焼き付いている。 そして、漫才ブームはその翌年、突如巻き起こった。「Wヤング無き漫才ブーム」。僕はシラけた気持ちで、漫才から離れた。 ブームのきっかけはTV「THE MANZAI」であったろうか。ツー・ビート、B&B、紳介・竜介------等、若手の活躍が際立っていた。その後、彼らはバラエティー番組へ進出し、時の流れとともにコンビも自然消滅していき、漫才ブームは終わりを告げた。 ブームが去った後の漫才のTV放送は、ブーム以前に比べると激減した。 TV業界で言われる「ブームの仕掛け人」がいるのなら、「ブームの責任者」としての自覚も欲しいものである。 ブームは時として、津波のように押し寄せて、過ぎ去った後には残骸しか残さないこともある。 「ブームの責任者」としての後始末を考えるならば、最低限、漫才のTV放送は残しておいて欲しかった。 天才漫才師、横山やすし急逝。彼の復活を待ち望んでいたファンも少なくなかったが、それも果たせず------。若手は、バラエティータレント化に走っている。このままでは、いつか漫才も消えてしまう。やや大袈裟な意見かもしれないが、漫才を考えると------ 夜も眠れなくなっちゃう、今日この頃です。 |