毎日を少し楽しくするコツ荻野誠人 卒業間近の中三の女生徒が、中二の女生徒に廊下ですれ違いざまににらみつけられたとふくれっつらをしていた。聞いてみると、普段何となく気にくわないと思っている程度の相手で、時々あちらこちらで顔をあわせはするが、口をきいたことはないという。しかももうすぐ卒業だから、ひょっとすると相手の子には二度とお目にかからないかもしれないわけだ。そこで私はこう言った。 「にらまれたかどうかなんて君にとって大した問題じゃないだろう。おまけにその子は君には何の関係もないんじゃないか。そういう時は、その子はたまたまそういう悪い目付きをしているだけだと思っちゃうんだよ。何もわざわざ悪くとって、怒ることはないじゃない。損だよ。」 その女生徒には人生の先輩ぶって悟ったようなことを言ったが、実際には私たち大人もしばしば同じようなことをしているのではなかろうか。人間関係がぎくしゃくした原因を冷静に探ってみると、気にしなければ何でもないささいなことを悪く解釈したのがきっかけだった、ということが意外と多いのではないか。たとえば、無愛想な態度をとられたり、乱暴なことばで応対されたりしても、「すごく忙しかったのかもしれないな」「余りことば使いを気にしない人なんだな」とよい方に受け取れば、それですんでしまうのに、「何だあいつは!」と必要以上に腹を立てることがあるのではないだろうか。 もちろん冷静に客観的にものごとを判断しなければならない重大な場面もある。たとえば、したたかな取引先と商談をする時、相手のことばをすべてよくとってしまえば、いいカモにされてしまう。面接試験の時、応募者のことばを好意的に解釈してしまえば、採用後に、お荷物をしょいこんでしまったと歯ぎしりする羽目になる。しかし人生、そんなに重大事ばかりで埋めつくされているわけではない。ひょっとすると、ささいなことの方が多いかもしれない。 どうでもいいことはよい方に受け取る----これが毎日を今よりも少し楽しくする小さなコツではないだろうか。たとえそれが相手の悪意に気づかないことであっても、お人よしと言われることになっても、元々たいしたことではないのだから、実害はない。それどころか、むだに怒ったり、人間関係を悪くしたりすることもなく、穏やかな気分でいられるのだから、大いに得をすることになるのである。 (1988・1・18) |