孫の抗議
向井俊博
涼の欲しいある日、二人目の出産をしたばかりの娘が、久しぶりに里帰りをしてきた。
生後1ヶ月の赤子に、4才の姉ちーちゃんがお供についている。甲高い子供の声を先頭に入ってきた途端、活気と喧噪に、一瞬にしてわが家の雰囲気が変わり、赤ん坊を主役にしたかみさんが、もうエキサイトしている。
赤ん坊は泣くものと思っていたが、この子は無駄泣きを一切しないというので、抱き取ったかみさんがほっとしている。それはいいのだが、小さいくせに意志だけははっきりしていて、もう抱き癖がついているという。それもただ抱くのではなく、揺すらぬと機嫌が悪いといわれて、今度は慌てて揺すりにかかっている。
やがて寝入ったので、転がっている座布団に寝かせたが、はみださずに全身がゆっ たり収まる姿を見て、まさに「座布団の君」だと言って皆で大笑いする。薄い肌着に小さなタオルをお腹にかけられた赤子は、まさに座布団一枚を天下にした感じでびくともせず、生まれたときの赤みをひきずっている寝顔は、いつまで見ていても飽きない。
しげしげ眺めていたかみさんが「動物の赤ちゃんのようだ」と思わず洩らした途端、今まで静かだった姉のちーちゃんが血相を変えて、「動物の赤ちゃんではない」
と猛烈な抗議に出てきた。「だって象さんは鼻が長いし、キリンさんは首が長いし、ウサギさんは耳が長いし、だから動物の赤ちゃんと違う」と、口をとがらせる。
「じゃあ、お猿さんは?」というと、一瞬考えて、「人間には心がある」と難しいことを言い出した。
「心ってなあに」とかみさんが切り返すと、心には三つの心があると言いながら、小さな指を繰り始める。「悪をやっつける心」と「優しい心」と、それから「頑張る
心」だというのだ。大人顔負けの含蓄のある話になり、こちらも思わず身を乗り出してしまう。鋭い指摘にたじろぎながらも、いい加減にあしらってはならぬと感じたかみさんが、「じゃあ、動物には心がないの?」とつっこむと、「動物のお母さんには優しい心だけはある」と言う。聞いていて、年端もいかない孫に何か大事なことを説教されている感じになって、うなってしまった。
その内、座布団の君が目を覚まし、もぞもぞし始めた。鼻の穴を膨らませ、真っ赤 になって顔をしかめている。何か訴えている表情がなかなか納まらぬ。これは抱けというサインだろうと衆議一決、かみさんがそっと抱き取り、「この子はいらんぼ、
あっちの山へとんでゆけ」と、今度は郷里九州の寝かせ節で、大揺すりを始めた。
途端にちーちゃんがつかつかと歩み寄ってかみさんにくいついて、またもや猛抗議を始めた。要は「いらんぼ」ではない、取り消せと言うのだ。かみさんはたじたじと
なり、なんだかんだと説明して懸命になだめている。
こんなやりとりをしている内に、座布団の君の方はどこ吹く風とおとなしくなり、 あっさり寝込んでしまっている。
けなげに赤子をかばう抗議には、子供心の純な世界がほとばしってきらりと光り、 オコゼのような孫の膨れ面が何とも愛しかった。
(平成十一年十月三日)
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