人生の宝

荻野誠人

 人生の宝といえば、やはり自分の心です。
 大人になるまで、私の心はゆがみ、すさんでいました。私は、正義漢を気取る傲慢な人間で、人を傷つけることを何とも思っていませんでした。毎日のように誰かと争い、誰かを憎み、心はいつも波立っていたのです。友だちもほとんどいませんでした。私は同窓会というものに出席したことがありません。行っても私の居場所がないからです。今でも私のことを思い出せばいやな気分になる人が大勢いるでしょう。
 自業自得とは言え、自分の心が自分を苦しめるような状態からは何とか逃れたいと思っていました。しかし、どうしても自力で自分を変えることは出来ませんでした。
 ところが、大変運のいいことに、成人する前後に多くのよい人達に出会い、その人達の愛情や批判や、派手な衝突などのおかげで、自分を変えるきっかけをつかむことが出来たのです。今自分の心をあちこち眺めていくと、ここはあの人のおかげ、と恩人達の面影が浮かんできます。
 一旦軌道に乗ればあとは一人でも何とかなったようで、それ以降、色々な人や本などの力を借りながら、少しずつ自分の心を育てて今に至っています。
 もちろん聖人君子になったわけではなく、多くの短所は直すことを諦め、人様から非難されたりすることもなくならないという体たらくではあります。
 しかし、気付いてみれば、今では多くのよい友人に恵まれています。子供の頃には決して出来なかった行いがいくつも出来るようになりました。例えば、他人の個性や意見をずいぶんと尊重するようになったといったことです。怒ったり憎んだりすることがなくなったわけではありませんが、穏やかな気持ちでいる時間が子供の頃とは比べものにならないほど長くなりました。こういう心境をもらたしてくれたのは自分の心です。やはり私にとっては宝というほかはありません。私の自分の心に対する気持ちは、丹精込めて花を育てる人の気持ちと似たところがあるでしょう。
 と言っても、普段は心を意識しません。最近は特にそうです。それはたぶん心で悩むことが少なくなったからでしょう。いつもは忘れている、空気のような宝物です。その点が、終始気にかけなければならない花と違うのかもしれません。

2007・4・11


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