人生の宝

向井俊博

 もうだめかとさえ思った。病に倒れ、高い熱を出して、うめきながら寝ていた時のことである。寄せては返す波のように、苦痛が押し寄せる。耐えきれなくなると、安全弁が働くように意識が遠のくが、気がつくとまた苦痛がよみがえっている。長時間にわたるこの繰り返しに、心身はかつて経験したことのないほど、きつい状態に落ちこんでいた。

 その時である。身体が一瞬にしてまぶしい光にくるまれ、抱き取られるように宙に浮いた。音は聞こえず、光だけがあるといった別世界にワープしたような感じであった。不安感は全くない。故郷に帰ったかのような懐かしい気さえした。
 くるんでくれている光には、思わずひれ伏すような、崇高な気配はない。ただ、母親のとは桁違いのぬくもりがあって、それが自分に渾然と繋がっていることが、ことのほかリアルに直覚できた。繋がった先には、別世界が果てしなく横たわっていることも、同時に見えてしまった。

 一体何が起こったのだろうか。精神的ショックで失神した経験があるが、この感じとは全く違う。意識は、直前まではもうろうとしていたが、光にくるまれた瞬間から、異常なほどに冴え渡ったので、幻覚とも思えない。
 不思議な体験だったので気になり、後日、知人に打ち明けたところ、修行したり深い瞑想に入って達する、一種の変性意識状態になったのだろうと言われた。難しいことは分からぬが、我々の心の住まいには、日頃気付かぬ天窓みたいなものがあって、それが一瞬開いて、青空を垣間見たのだと、今では思っている。

 ともあれ、この経験は、わが人生に大変重きをなすものとなり、人生観や世界観に、影響を与え続けていった。
 魂はあるのか、見えない世界はどうなっているのか、死んだらどうなるのか、眉間にしわを寄せて、理屈をこねまわしていた部分が、何となくすっきりしてきたのだ。

 心身の苦労は相変わらず絶えない。だが、光にくるまれて繋がった経験と、それが肥やしになって培われた人生観は、自分にとっては、まさにかけがえのない宝である。
 「いつも抱(いだ)かれている」「別世界に繋がっている」という安心感のおまけまでがついて、心の中で光り続けている。
 ひょっとして、冥土の土産になるかも知れない。   

                            (2007.4.15)


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