心の未来

荻野誠人

 その白く輝く建物は、高さは雲に隠れるほど、長さは地平線の向こうにまで続くほどだった。その頑丈なことは、水爆の直撃を食らってもびくともせず、巨大な隕石が地球をうかがっても、はるか手前で破壊する装置を備えていた。現在は太陽系が崩壊した時の脱出法をコンピューターが日夜開発中で、間もなく完成すると思われる。
 内部の薄暗く静かで広大な空間には無数の2メートル位の半透明のカプセルが整然と浮かんでいる。カプセルの両端には機械らしきものが取りつけられていて、小さな光が時々点滅している。中には人が横たわっている。眠っているようだ。頭部はヘルメット状のものに覆われ、口元には微笑みが浮かんでいるようにも見える。体には何本かのチューブやコードのようなものが取りつけられている。人々は永久にこのままの状態で宙に浮いているのである。
 科学の驚くべき発達によって食料やエネルギーや環境の問題は解決され、豊かな世界が実現した。労働も家事も育児もすべてコンピューターやロボットがやってくれるようになった。そして、遂に長年の夢である不老不死さえも手に入れたのである。こうして人類はどんな欲望もかなえられるようになった。辛いことや面倒なことも一切なくなった。従って、不便な時代の、努力や我慢や諦めや自己犠牲といった古い道徳は不要になった。他人の助けに頼る必要も、他人を助ける必要もなくなって、隣人愛も人類愛も過去のものとなった。人類に残されたのは、快楽を追求することだけだった。
 間もなく人々はそれぞれが欲望を無限に、他人と衝突することなく満たすために、バーチャル世界に永遠に生きることにした。そこでは現実と寸分違わぬ人生を、何通りでも思うがままに楽しめるのだ。人々はカプセルに横たわって、銀河帝国皇帝となり、天才的芸術家となり、世界的映画スターとなり、好色一代男(女)となり、美しい蝶となり、果てしない幸福な人生を過ごすこととなった。まさに理想の実現である。こうして人類の社会は静かになった。
 一方、このような生き方をよしとせず、他へ移住した人々も少数いたそうだが、地下や海底に潜ったのか、宇宙へ飛び出したのか、ここからではその姿を認めることは出来ない。

                       2007・5・30


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向井