邂逅(天使の修業 その1)

荻野誠人

 今年も神様が天使になる候補の少年少女を選ぶ日がやって来ました。選ばれた子供は、まず修業の場に送られて、人助けをさせられるのでした。
 テラエルとピコエルという同じ年の少年も選ばれました。二人とも天使にふさわしく心の清らかな優しい少年です。ただ、テラエルが熊のように大きくてものすごい力持ちだったのに対して、ピコエルはやせて色白で余り強そうではありませんでした。
 神様は大きな荷物を持たせて初めにピコエルを、少し遅れてテラエルを黙って同じ場所に送り出しました。人助けをするのは三日間です。そこはいかにものんびりとした村のはずれでした。穏やかな川が流れていましたが、橋が落ちてしまったばかりでした。古くて弱っていたのか、象が渡り切ったとたんに崩れてしまったのでした。幸い誰もけがをしませんでしたが。
 ピコエルも、ピコエルが去ってから来たテラエルも、橋の所で旅人が困った顔をして川上や川下へと歩いていくのを見て、すぐに筏を作って川を渡してあげようと思いました。二人とも大きな川のほとりの村で育ったので、筏を作るのはお手のものだったのです。二人はそれぞれ荷物の中から道具を取り出し、近くの森に入って木を切って川岸まで運んできました。そこで一人で筏を組み立てました。
 ピコエルはこう思いました。
  「なんだ、どんな難しい人助けをするのかと思ったら、簡単じゃないか。おまけに荷物の中にはすごく立派な道具まで入っていた。神様ってずいぶん親切なんだなあ。」
 翌日、テラエルは川下から、ピコエルは川上から筏に乗って、同じ時に橋の所までたどり着きました。二人は離れたところから見合って、すぐに仲間だということに気付いて驚きましたが、口は利きませんでした。修行中は仲間同士で話してはいけないことになっていたのです。何でも一人でするのが決まりでした。
 ピコエルはテラエルの筏を見てハッとしました。自分のよりもずっと大きくて頑丈そうだったからです。
 筏を岸辺のくいにつなぐと、二人は少し離れて草の上に座り、人が来るのを待ちました。いい天気でした。二人ともついうとうととしてしまうのでした。
 しばらくして、三人連れの旅人がやって来ました。橋を見るとびっくりしましたが、二人の少年とそれぞれの筏をちらりと見ると、テラエルに丁寧に声をかけてテラエルの筏に乗りました。テラエルはにっこりして「お金は頂きません」と言って筏に乗ると、竿で筏を操り始めました。力持ちのテラエルです。筏は苦もなく向こう岸に着いて、直ぐに戻ってきました。
 またしばらくして、旅人がやって来ましたが、今度もテラエルの筏に乗りました。次の旅人達もテラエルの筏に乗り、この日はとうとう誰もピコエルの筏には乗りませんでした。
 翌日も同じでした。この日もいい天気でしたが、もうピコエルはうとうとすることは出来ませんでした。テラエルも何だか居心地が悪そうな様子でした。それでも川を渡る筏からは旅人とテラエルの笑い声が聞こえてくることもありました。お母さんらしい人に手を引かれた子供が「あっちの筏沈みそう」と無邪気に言った時は、さすがにピコエルの表情がさっと曇りました。テラエルも横を向いて少し顔をしかめました。
 その晩ピコエルは親切な村人の家の寝床に横になって考えました。
  「あ〜あ、神様はなんであんなすごい奴と僕を一緒になさったんだ。あれなら今すぐにでも悪魔や龍と戦えそうじゃないか。このままじゃ何日待っても人の役になんか立てそうもない。それどころかずっとあいつをうらやましく思うなんて、みじめだし、天使として失格だ。」
 でも今さら別の人助けをするのは、まるで負けて逃げ出すみたいでいやでした。
 一方テラエルも無人のお寺の中で仏像を前にして考え込んでいました。自分は向こう岸で旅人を待とうかとも思いましたが、そんなことをすればピコエルをますます傷つけるのではないかと考え直しました。それに向こう岸には旅人は現れませんでした。もしかすると向こうでは橋が落ちたことがもう知れ渡っていたのかもしれません。
  「でも神様は人数でお決めになったりはしないはずだ。それに神様に選ばれたほどの男だ。自分で何とかするよ。」
 そう気付くと、少し安心して寝入ってしまいました。
 ついに三日目、最後の日です。この日もまたいい天気でした。
 昼近くなって七人連れの旅人がやって来ました。でも、皆テラエルの筏に乗りました。七人乗っても筏にはまだまだ余裕がありました。ピコエルは今度もため息をついて、川面をボンヤリ眺めていました。神様に何を言われるかと憂鬱でした。すると、背中の方からハアハアと激しい息づかいが聞こえてきました。振り向くと、目も顔も体も丸い、達磨さんのような旅人が汗を流しながら急ぎ足でやって来たのです。
 「え、落ちてんじゃないか。ええ〜。途中に立て札でも立てとけよ〜。お、おお、よかった。君、君、ちょっと乗せてくれないか。そのためにここにいるんだろ。」
 ピコエルは思わず浮かんできた笑みを抑えながら言いました。
 「いいんですか。こんな小さな危なっかしい筏でも」
 旅人はきょとんとしましたが、川を渡っていくテラエルの筏を見つけると、
 「ああ、確かにあっちの方が立派そうだねエ。でももう出ちゃってんだから、僕の役にゃ立たないよ。どんなに小さくったって、今僕を助けられんのは君の筏しかないじゃァないか。んなこと気にしないで、早く頼むよ。」
 ピコエルの顔がパッと明るくなりました。
 「そう、そうですね。どうぞ。」
 ピコエルは張り切って筏を操りました。その筏はずいぶんと流されてしまいましたが、無事向こう岸にたどりつきました。達磨さんもピコエルもニコニコと大きな声でお礼を言い合いながら別れました。
 結局三日間でピコエルの筏に乗ったのは達磨さんの旅人一人でした。そしてピコエルの心からはテラエルをうらやましいと思う気持ちがなくなったわけではありませんでした。でも達磨さんとの出会いからとても大切なことを学んだ気がしました。人助けも大事ですが、神様はむしろそれを通して何かをつかむことを求めているような気もしました。
 次の日からは国のとても偉い人が渡し船として立派な船をしばらく貸してくれることになりました。その間に橋は修理されるのでしょう。人助けの終わった二人は筏を薪にして近くの村の村長に渡しました。
 ピコエルは川の輝きを見ながらほっと一息ついて微笑みましたが、天使になるための修業は始まったばかりでした。

                    2008・3・3


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