邂逅

向井俊博

 この世は、仏法によれば、縁起で成り立っている。絡み合って縁が生じ、全てがつながっていく中で、とりわけ人の縁に不思議さを見る。

 先日、鎌倉の円覚寺で、思わぬ再会をした。滅多に行かないお寺だが、ここで偶然の出会いを、二度も経験している。
 一秒違っても、数メートル場所がずれても、出会わなかったはずだ。それがぴたりと合う確率たるや、微々たるものであろう。こんな思わぬ出会いが重なると、ますます縁の不思議さの実感が深まっていく。
 一方、知らぬ間につながっている縁を、ふとしたきっかけで気づかされること も多い。
 頼まれ仲人を29組仰せつかったが、そんな中に、かっこうの実例が二組ある。一組は、互いに見ず知らずの二人が、結婚斡旋業者のコンピューター見合いをし、話し合ううちに、共に当方と縁があることが分かったとのこと。新郎は以前、母校の先生に頼まれ、大企業に転職の労をとってあげた人物。新婦はこちらが職場で昔、世話になった書記さんであったのだ。
 もう一組は、結婚式を控え、自己紹介の最中、新郎側の父親が驚いた様子で突如立ち上がり、「向井大尉のご子息ですか」と軍隊式の敬礼をされた。わが父親と戦時中、横須賀の海軍工廠で共に苦労されたご縁があったとのこと。
 こんなこともあった。群馬の音楽仲間から、九州の女子大生が楽譜を探しているので、教えてあげて欲しいと頼まれた。メール交信していて驚いた。その女性は、なんと当方の従兄弟の長女と、四国松山で小学校時代、仲良しだったというではないか。
 こういう縁の気づきが重なると、世の中の狭さのせいと片付けていいのか戸惑 う。同じ楽屋からステージに出ている役者同士が、舞台で会っているような気がしてならないのだ。

 ところで、最近になって、このようなものとは一味違う縁があることに気づいた。よき夢を描き、実現の願いを強く持ち続けていると、それに呼応するかのよ うに、人や物の縁が生ずるというものだ。
 ついこの間のこと、療法として活きる音楽作りが出来ないかと日頃夢見ているが、書店でふと気をひかれ、この分野の数ある本の一つを衝動買いした。一方、知人に然るべき専門家を訪問すべく仲介を頼んでいたのだが、紹介されてお目にかかった相手が、買ったばかりの本の編纂者であった。
 本と専門家との偶然の一致もさることながら、こういった縁が生ずるのは、 「シンクロニシティ」という現象かと思いはじめた。
 耳慣れぬ言葉だが、心理学者ユングとノーベル物理学賞受賞のパウリが言い出 したものだそうで、一般には共時性と訳されるが、スピリチュアルな見地からは、図られた偶然の一致とでも言うべきか。些事を含めてこういったものが起こる都度、驚きかつ感動する。
  目をこらしてみると、シンクロニシティの背後には、見えない世界で、我々の成長を良い方向に向かわせる力が働いているのがうかがえる。よき願いを強く念 じ続けるほどに、これが発動し、縁を引き寄せていくのか。

 降って湧くような奇縁や偶然の出会いは、他生の縁に発する邂逅のように思われる。
 一方、明確な夢や意識を持つことで起こる「シンクロニシティ」には、そういった縁の発露とは異なる、アクティブなあやを感じる。
 この世に生まれ、様々な出会いを重ねながら学んでいく人生、思わぬ邂逅を尊びつつ、新たな縁を自ら創っていきたいものだ。

(2008.4.30)


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荻野