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草花への話しかけ

向井俊博

 日曜の朝、時折NHKテレビの「趣味の園芸」を観る。花の育て方をプロの園芸家がかわるがわる手ほどきしてくれるのだが、草花に対して、まるで動物に接しているようなしぐさをしている人がいて、心を打つ。先日も、剪定の見本を示すくだりで、未だ元気に咲いている花に向かって、「ごめんなさい」と言ってはちょきんとやっていた。

 家のかみさんも花好きである。一年中、なんだかんだと子育てのやり直しみたいにしてやっている。その気になると、花が話しかけてくるのがわかるという。また、こちらから花に呼びかけると、ちゃんと応ずるという。よく咲いたねと心の中でほめてやると、一生懸命に咲き続けてくれるのだそうだ。

 花に呼びかける、というので思い出す話がある。昭和60年のこと、筑波で科学万博が開かれた。この時に展示されたトマトの巨木が話題をさらった。当時、写真などを見てびっくりされた方も多いのではなかろうか。水気耕栽培(ハイポニカ農法)という特殊な栽培法によるもので、一株のトマトが14メートル四方にジャングルのように繁り、期間中に一万三千個の完熟トマトが穫れたといわれる。

 話はこの栽培法で育てられたトマトにまつわるものである。(『ハイポニカの不思議』〔野澤 重雄。PHP文庫〕に紹介されている。)トマトが成長していくさまの映画撮影を請け負った監督さんが、栽培法の開発者に念をおされる。「このトマトは巨木に成長するが、そこに技術的な秘密はない。ただ、成長の過程では、それに関わる人の心の影響を受ける。しっかりトマトと心を通わせて撮って欲しい」と。

 この監督さん、心を通わすにはどうすればいいか分からないので、まずトマトに挨拶をすることから始めたそうだ。大勢の撮影スタッフの前では照れ臭いので、最初はこそこそとやっておられたそうだが、二ヶ月ぶりに撮影に行った時のこと、あまりの成長ぶりに思わず「おまえ、でっかくなったなあ、スゴイ、スゴイ」と大声で叫んでしまう。それ以来、一癖も二癖もあるスタッフの連中が、例えばライトのセッティングの際は「すまんな、ちょっとの間我慢してくれよな」などと、自然に声をかけるようになったそうだ。こうしてみんなが「きれいだなあ」とか「大きくなったなあ」とか声をかけ続けたとある。

 植物と心を通わす感動的なシーンだが、実はこの先の話を紹介したいのだ。数ヶ月後、このトマトが最多の実をつけたいわばラストシーンを撮る段になって、監督さんは別の撮影で海外へ出かけてしまって帰ってこない。そこへもってきて落実する限界がきてしまい、早く戻って撮影してくれとの督促をする。それを受けて十日を過ぎて帰国し、やっと撮影を終える。その晩のこと、温室で異様な物音がするので行って見ると、撮影したばかりのトマトが音を立てて落ちている。一株五千個のトマトが、一晩でしかも一斉に落ちたというのだ。心が通じ合った結果、トマトが 撮影までに実を落とすまいと懸命にがんばったとしか言いようのない情況だったそうだ。

 こんな例を思うと、草木や自然に対して話しかけ、心を通わそうという気持ちが一段と強くなってくる。互いの存在を慈しみ、この世での一瞬の巡り会いに喜びを感ずる人は、そういった心の発露として、いとも自然に草木に話しかけているのではないかとも思ってみる。

 ところで、家のかみさんは、自分の子供は呼び捨てにするくせに、ベランダの餌台に来る小鳥には、小鳥さんと「さん」づけにする。花瓶の花がしおれて捨てる時、「ありがとさん」とつぶやく。この話を本誌の寄稿者、俳人中島さんに話したら、プロの句にこんなのがあるよと示して下さった。

 妻やさし 枯菊の火に ささやける


 まずは、さりげなく草花へ話しかけていこうとつくづく思う。一べつしただけで木石と心を通わす悟入の人には遠く及ぶべくもないが。

〔平成7年8月15日)


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