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「暗い性格」の復権

荻野誠人

 「明るい性格」「暗い性格」−−−。性格を二つに分類する言葉として誰もが気軽に使っている日本語です。
 明るい性格と暗い性格と比べますと、世間では圧倒的に前者が評価されています。逆に後者の評価は低く、「あの人は暗い」と言えば、それは事実を述べているだけでなく、その人に対する多少の侮りや敬遠の気持ちさえ含まれていることが多いようです。そして暗い性格と言われる人が不快感や劣等感を抱いている場合も珍しくありません。私自身、新しい部署に移った時に「あの人(前の部署の同僚)が暗いと言ってたよ」と告げられて、心穏やかでなかったことがあります。

 しかし、明るい性格と暗い性格に優劣などあるのでしょうか。
 暗い性格には短所があります。しかし、それは明るい性格にもありますから、お互いさまでしょう。暗い性格にもそれなりの役割があって、明るい性格ばかりでは世の中は成り立たないのではないでしょうか。
 明るい性格の特徴の一つは楽観的なことでしょう。暗い方は悲観的ということになります。一般には楽観的な方が好ましいと思われているようですが、その方が常にいいと言えないのは明らかです。楽観的であるのは、場合によっては「甘い」ことになります。災害のように最悪の場合を想定した方がいい事柄もいくらでもあります。
 積極的、消極的も明るい性格、暗い性格を表す特徴でしょうが、これについても同じようなことが言えます。経営でも軍事でも積極的な態度が裏目に出ることはいくらでもあります。一方、何もしなかったり、撤退したりした方がいい場合もいくらでもあるのです。しかし、こちらの方は目立たないので、余り評価されないようです。
 明るい性格のもう一つの特徴はよく笑うことでしょうか。だとすると、暗い方はよく泣くことになります。笑える出来事と泣ける出来事では、前者の方がいいことは言うまでもありません。しかし、それは出来事の優劣で、性格の優劣ではありません。このあたりに誤解があるのかもしれません。愛する人の死は誰も歓迎しません。でも、愛する人の死に際して泣くのは自然なことで、このとき笑ったからといって、誰も褒めてはくれません。笑うこと、泣くことには優劣のつけようがないと思うのです。
 社交的、非社交的という特徴も比べてみましょう。社交的な方が人脈は広がりますし、人も集まります。社交的な人の周りはいつもにぎやかです。しかし、すべての人が常ににぎやかさを求めるとは限りません。静かさを求める人も少なくはありません。また、社交的な方が営業などには向いているでしょう。お金もうけも非社交的な人よりはうまいと思います。しかし、部署は営業だけではありませんし、営業が最も価値のある部署というわけでもないでしょう。お金がもうかるのはいいことですが、すべての人がお金に最高の価値を見出すわけでもありません。
 このように、明るい性格、暗い性格といっても、考えてみれば両者には優劣の差というよりも個性の差といった方がいい違いしかないようです。後者の方が地味なので、どうしてもそのよさは目立ちませんが。気軽に「あいつは暗い」と人を馬鹿にする人は、性格というものを単純に見過ぎているのかもしれません。確かに周囲を心配させるほど暗い雰囲気の人もいます。しかし、それは「暗い」と言われる多くの人のほんの一部でしょう。ですから、暗いと言われても、ほとんどの人はそんなにがっかりすることも気にすることもないのです。

 では、どうして明るい性格の方がずっと価値が高いと見なされるようになったのでしょうか。すでに述べたように、お金もうけなどがうまいと思われていることも理由の一つでしょうが、ここでは私なりの仮説をご紹介します。
 そもそも、明るい性格、暗い性格という二つの性格の傾向に「明るい」「暗い」という名前をつけたこと自体にすでに問題があったのではないかと思うのです。
 もともと「明るい」「暗い」は光が十分あるかないか、を表す言葉です。大昔は光のない夜は、獣や夜盗が襲ってくる不安と恐怖の時間でした。今でこそ、夜を楽しむ人も大勢いますが、それも多くの場合、必要な照明があってこそです。今でも暗い夜道は人を不安にします。ですから、人にとっては明るい方が暗いよりもずっと価値があったのです。
 ところが二つの性格の傾向に、「明るい」「暗い」という言葉を当てはめたときにその価値観まで持ち込まれて、明るい性格の方が暗い性格よりずっと価値があるという偏見が生まれることになったのではないでしょうか。
 ですが、果たしてこの二つの性格の傾向に、光を表す「明るい」「暗い」ほどの価値の差があるでしょうか。そんなことは決してありません。これまで少し検討しただけでもそれははっきりしています。
 あるいは、暗い性格という言葉はもともとは、光のない状態同様、本当に精神病のような深刻な状態だけを指す言葉だったのが、対象が広がっていき、今のように気軽に性格を二分するための言葉として使われるようになったのかもしれません。そのせいで、別に問題のない性格まで、印象が悪くなってしまったのかもしれません。
 いずれにせよ、「暗い」という言葉の、光が足りないという意味の影響で、暗い性格といわれる傾向の性格までが不必要におとしめられているのではないかと思います。つまり、暗い性格という言葉は言われた人の本当の価値を表したものではないのです。

 まとめますと、いわゆる暗いといわれる性格は、十分長所になり得る要素があるのに、余り認められていない上に、「暗い」という言葉の基本的な意味の影響で、不当に悪い印象を与えられていることになります。いわば二重の受難です。ですから、「暗い性格」という言葉を人に向かって使おうとする時は、その言葉が相手にふさわしいのか、慎重な態度をとるべきでしょうし、言われた方も別に意気消沈することはないのです。自信をもっていていいのです。

 2005・9・12


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