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駆除の悲しみ

荻野誠人

  06年2月から3月にかけて、滋賀県大津市では住宅街に出没するようになったサルを駆除する、つまり殺すか殺さないかが問題になった。
 実は私はある動物愛護団体の会員なのだが、その団体は駆除には猛反対だった。そもそもの原因は、乱開発などでサルを山に住めなくした人間にある、だから何とか殺さない方法を考えるべきだというわけだ。
 確かに悪いのは人間である。殺さずに済む方法があるなら、それに越したことはない。だが、テレビで放映されたが、すでに一部のサルは凶暴化して人を襲うようになっていた。今日明日にも大怪我をさせられる人が出てもおかしくない。そんな状況下では悠長なことを言っていられない。駆除はやむを得ないだろう。それに自治体には住民の安全を守る義務もある。
 それでもなお団体が駆除に反対し続けるのなら、これまで数々の成果を上げてきた運動自体が信用を失ってしまうかもしれない。すでにネット上では批判的な声があちらこちらから上がっていた。「地元に住んでみたらどうだ」「自分の子どもが襲われたら、そんなことは言ってられないだろう」。
 団体の反対は、結局地元住民に、被害を我慢しろと言っているに等しい。それはまるで人間全体に成り代わって罰を受ける聖者の行為のようである。動物愛護精神の旺盛な人なら堪えられるかもしれない。だが、そんなことを住民全員に求められるだろうか。特に物心ついていない子供にとっては理不尽な要求とも言えるだろう。今回だけは、苦渋の決断として駆除を容認するしかないのではなかろうか。
 しかし、駆除するにしても、単に書類上の手続きのように「駆除した、安全になった、終わり」で、以前と何ら変わらぬ日常生活に戻るのでは「犬死」になってしまう。それでは余りに哀れである。駆除が実行された時は、地元住民にもお願いしたい。私たちと同じ命をもったサルが私たち人間の身勝手の結果殺されたのだ。日本中にこの事件を知らせ、悲しみや痛みや罪悪感を日本人全体で共有するよう努力してもらえないだろうか。それが将来駆除を少しでも減らすための確実な出発点になるはずだ。そして気の毒なサルたちのせめてもの供養にもなることだろう。

2006・3・10

 追記 その後駆除は行なわれず、6月にはサルを捕えて檻で飼うという方針を大津市は打ち出したそうです。それで根本的な解決につながるのなら、命も奪われませんし、何も言うことはありませんが・・・。


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