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心こもる風景

向井俊博

 横開きの自動ドアのガラスに、キリンとかお猿さんの動物の絵が、色つきでユーモラスに描かれている。その向こう側は小児入院病棟で、感染耐力の弱い幼児は、親に付いて入ることが出来ない。
 この病棟に入れない2歳の女の子、サアちゃんの子守りをしてくれと娘に頼まれ、病院に駆けつけた。今年の風薫る初夏の頃である。7歳になる姉のチイちゃんが、重い川崎病にかかって入院したので、母親がしばらく面倒を見る為である。
 病室には入れないと母親に言い含められているらしく、サアちゃんはドアの近くまで行っては、小さな指をそこに向けて、バイキン、バイキンと言って、母親を追うのを諦めている。病院の中なので遊び道具がなく、まだ聞き分けの出来ぬ小さな子供相手に時間をもたすのには、ひと苦労する。

 飽きてしまって駆けずり回り始めたサアちゃんを追っかけていると、産婦人科病棟の向こうからパジャマ姿の中年の女性が、おいおい泣きながら廊下を走り出てきた。若い看護婦さんがすぐ追いついてきて、その女性を抱きかかえるようにして廊下の隅に連れて行き、肩を抱きしめて、こんこんと何か話しはじめた。
 状況から察するに、衝撃的な病状を知らされたか、あるいは何か不幸なことが起きたかしたらしく、大変に取り乱しており、それをずいぶん長い時間をかけて、看護婦さんが鎮めている。
 あれほど泣きじゃくっていた女性が、やがてこっくりとうなずきながら落ち着いてきたのを見るまでもなく、単なる事務的な説明ではなしに、心からの慰めを言っているらしいのは遠目にもよく分かった。それに、看護婦さんは患者さんの肩を包み込むようにずっと抱いたままなのだ。
 たまたま近くのソファーで、奥さんの出産を今か今かと待ち構え、ビデオカメラを手にうろうろしていた男性が、これを見ていて神妙な顔つきになり、カメラをそっと隠してしまい、目立たぬように座りなおしていた。
 一瞬の光景ではあるが、悲喜こもごもの人生の縮図を見る思いで、お姉ちゃんが人工呼吸器をつけて意識不明になっているのを知る由もないサアちゃんの手を、つい握りしめてしまう。

 こうして病院にやってきては何回かサアちゃんの子守をするうちに、一時は心配したお姉ちゃんの方は、個室から集合病室に移され、やせ細ってはしまったが、ひと月ほどで退院することができ、ほっと胸をなでおろした。

 こんなことがあってしばらく経ったある日、治療家やお医者さんが参加するシンポジウムを聴講した。米国の先進的な医療現場の紹介のくだりで、プロジェクターで二枚の写真が投影された。
 一枚は、外科の手術の直前に、執刀医達がそろって頭をたれて祈りを捧げている写真である。最先端の治療をする現場のお医者さんが、直前に祈るという想像もつかぬ情景は、私ばかりでなく、会場に強いインパクトを与えた。
 もう一枚は、やつれた患者がベッドに座っていて、その前で、大きな男がベッド脇にひざまずいて両手をにぎりしめ、そこに額をつけて祈っている写真である。祈っている男性は白衣を着ていて、患者の主治医だという説明であった。お医者さんが入院病室で患者のために祈っているのである。

 この二枚の写真の紹介を受けていて、じわりとまぶたに湧いてきたものがある。小さな孫のお守りをしていて病院で見かけた、患者さんの肩を抱いて慰め続けていた、あの看護婦さんの姿である。


 このように人のために心をつくす姿、こんな風景がもっともっとあって欲しいなあと思う一方、たとえ目立たずとも、自らもこんな風景の主人公にならねばとつくづく思う。

(2001年10月21日)          


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