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相対的幸福感

上杉守道

病院に見舞いに来てくれる人たちは、病人である私を励ましたり慰めたりしようと思って色々なことを言ってくれた。そのすべては思いやりのこもったありがたい言葉なのだが、しばらく病床についているうちにいくつかの言葉が心に引っかかることがある。そのひとつが、「きみよりたいへんな病気で長い間苦しんでいる人もいるのだから・・・」といったたぐいのものである。

確かにその通りではある。けっきょく私は四ヵ月でとにかく退院できたが、私よりもずっと以前から入院していて、私の退院後も引き続き入院している患者が大勢いる。なかには、戦時中からずっと入院したままという人もいるそうだし、生まれながらに心身に障害があってこの先もずっと入院したままだろうといわれている人もいる。そういう患者たちと比較すると「たった」四ヵ月で退院できた私の病気などは「まだましだ」ということになるのかもしれない。

だが、ちょっと待ってほしい。ではその「よりたいへんな病気で苦しんでいる人」や「治る見込みのない病気にかかっている人」には何と言って慰めたらよいのだろうか? やはり「あなたよりさらに不幸な人がいる」と言うのだろうか? ではその「さらに不幸な人」には何と言うのだろうか?

じつは自分の病気が他人の病気より重いか軽いかなどは、患者本人にとってはどうでもよいことなのである。病人がわずらっている病は、本人にとってはその時点においていちばん重い病気である。他人の病気と自分の病気の重さの比較などは取るにたりないことであって、最大でかつ本質的な問題はいかに自分自身の病に対処して生きていくかということなのである。

こどもの頃から競争社会のなかで育てられたためか、無意識のうちに他人との比較において自分の状態を評価する癖がついてしまっていたのかもしれない。生き延びたいという個人的なたったひとつのことを真剣に思ったときに、自分と他人の相対的な幸不幸などはどうでもよいということに気がついた。


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