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切り花の命

荻野誠人

 もう旬の話題ではありませんけれども、ブータンの国王夫妻が来日されたときは、ずいぶんとマスコミをにぎわせました。あるテレビの番組では、ブータンという国の紹介を、ブータンに詳しい人を招いてやっていました。その中で、ブータンでは命をとても大切にする。その一例として、切り花を売っていない、ということが紹介されました。鉢植えの花なら売っているとのこと。

 もちろんブータンの人たちも米や野菜を食べるわけですし、農作業では草取りなどもするのでしょうから、自分たちの命を支えるという目的以外での殺生はしないということなのでしょう。

 一方、日本では切り花は何の抵抗もなく受け入れられています。母の日のカーネーションは完全に定着していますし、花束は祝い事を一層盛り上げてくれますし、生け花という優れた芸術まで生まれています。

 ですが、私は子供の頃からどうも切り花に抵抗を感じていました。家や学校で、花瓶にいけたときは、まあいいのですが、やがて枯れて、捨てるときが、どうにもかわいそうというか、みじめというか、気持ちが少し沈むのです。切らなければ、もっと長く咲いていただろうに、と。でも、周囲に似た疑問を感じているような人は見つかりませんでした。

 私は自然保護にはそこそこ関心があるのですが、切り花についての自分の感じ方を口にしたことはこれまでなかったように思います。でも、私と似た考え方の 人々が、少し離れたところではありますが、少なからずいるということで、今回何となくほっとした感じです。花屋さんや生け花愛好家の方たちには悪いんですけど・・・。

 ところで、この花、名前は分かりませんけど、実は国道の道端という劣悪な環境で電信柱にまつわるようにして咲いているのです。花自体もなかなかなので、人目を気にせず撮ってしまいました。

 2011・11・23


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