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私の神の概念

荻野誠人

 私は高校3年の時、ある宗教に入った。それをきっかけに、自分なりに神とは何かを考えるようになったのだろう。20歳頃には漠然とではあるが、大体の概念が出来上がっていた。その神は自分の信仰の対象ではなく、人々がこれまで神と呼んできたものの自分なりの解釈である。それは私の属している宗教の神とは全然違うものだった。
 神には2種類ある。
 一つは自然である。宇宙と言ってもいい。この神には人格はない。だから、意志も善悪もなく、人間に働きかけることもない。天変地異などもあくまで自然現象であり、そこに何らかの意図が隠されているわけではない。
 もう一つは人格神である。人格神とは、日本やギリシアの神話に登場するような神々のことを意味している。人間に働きかけるのはこちらの神である。この神は、もし存在するとすれば、人が死後なったものであろう。死後は霊のような存在になるのだろうが、その中の力のあるものが神と呼ばれる。つまり、こちらの神は人よりもあとから生まれたことになる。そしてこれからも増えていく可能性がある。
 人格神には生前の人柄が反映して、個性もあるし善神も悪神もいる。悪神は悪魔と呼ばれることもあるだろう。元は人間なのだから、全知全能の存在ではない。奇蹟のようなものは起こせるとしても、天地創造まではとても無理である。人間よりは優れていても、失敗などをすることもあるだろう。この神は人間を超越した異次元の存在ではないのである。だから、人間を助けることは出来ても、救うことなどは出来ない。人間は自分で自分を救うしかないのである。なお、悪魔は天使が堕落したものだそうだが、まれには善神が悪神に、悪神が善神になることもあるだろう。
 この世でも善悪は拮抗しているので、あの世でも善神と悪神の力は互角だろう。だから、善神が悪神を滅ぼして地上に天国をもたらすことはない。神々の戦いは人間界の戦い同様永久に続くのである。
 私のいた宗教の神は自然と人格神を一つにしたような存在だったように思う。一神教の神ともなると、さらに全能という性質が加わるのだろう。つまり天地創造でも何でも、出来ないことはないのである。
 ただ全能の人格神を想定すると、様々な疑問が生じてくる。「宇宙の始まりは科学で説明出来るではないか」「どうして罪もない子供や動植物が悲惨な目にあうのか」といったことである。特に後者は誰もがもつ素朴な疑問なのに、それについての説明がまた難しい。理解するには相当の知性が要るようだ。それよりも、そういう神はないのだと考えた方がよほどすっきりと世の中を説明、理解出来るというものである。
 なぜ全能の人格神が生まれたかというと、科学的知識のない古代の人々が圧倒的な自然現象の向こうに何者かの意図があると解釈してしまったからだろう。あるいは、人格神に接して、それを勝手に自然と結びつけてしまったのだろう。ひょっとすると、人格神の方で自らを全能の神だと名乗ったことや、自然現象を自らのわざだと称したことがあったのかもしれない。
 ここまで神や霊の存在は当然という前提で書いてきたように受け取られるかもしれないが、現在無宗教の私は普段は特に神や霊を意識してはいないし、そういうものの存在を否定はしないが、確信しているわけでもない。もし存在しているのなら、こういうものだろうと推測しているだけである。
 以上だが、なぜこんな何の役にも立たない文章を書いたかというと、もちろん「信者」を獲得しようなどという意図は毛頭なく、長年思ってきたことをこの辺でまとめておきたかったからだと言うしかない。もし読んでくれた方の中に頭の中が整理されたと感じた方がいたら、大変嬉しく思う。

                  2005・2・20  2006・3・11加筆 


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