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価値観の転換

暮田昭吉

 私は昭和二年生まれで齢(よわい)既に古稀を越える古い人間です。戦前のことも戦中のことも戦後のことも、その通り越えた私の人生がそれぞれの時代の社会を生々しく記憶いたしております。これは単なる見聞ではなく貴重な体験であります。人にものを教えることなどできる私ではありません。ただ、自分が人生の通り越しの中で得た経験を伝えることはできます。それを余生の目的とすることが先人としての使命であると考えております。

 その人生の通り越しの中で最大の印象は、第二次世界戦争で日本が敗戦、そのために私達日本人が従来の価値観を一挙に失ったことです。明治憲法の廃止と日本国憲法の制定施行、そして朝鮮動乱以後の経済発展における物質文明のドシャ降り輸入の影響で、戦前戦中に信じ行ってきた価値観に百八十度の大転換を行わしめられました。その転換は自主的に行われたものでなく、あくまでも敗戦のために他国からの影響によるもので、日本人は全ての環境の変化を無批判に受け入れ、物質文明一辺倒の新しい価値観が習慣となってしまいました。

 そして半世紀が過ぎた今日、経済バブル崩壊と共に戦後社会の矛盾が一挙に吹き出し、まさに世は全ての面に行き詰まり、イデオロギーや議論では解決できない現代社会を前にして政治は説得力を失って議論百出の硬直状態、「船頭多くして船山に登る」ように、方角が分からなくなったようです。

 戦後の疲弊社会に根ざした物質文明は、目に見える物や利便性のみを信ずることに人々を腐心させ、かつて日本人が大切にした目に見えない精神文明や哲学を疎(うと)んじた結果、物や利便性に恵まれながら情操が干からびる喧噪社会を心ならずも創造してしまったようです。そのような社会には、笑いはあってもシットリと潤う真の喜びは恵まれないと考えております。古い日本を生きて昔の穏やかな社会を知っている私にとって、現代は社会全体が急激に非情で不健全な方向に堕落して行くように感じてなりません。

 心ある識者は現代社会を「物に栄えて心の滅びる時代」と評しますが、いくら贅沢に飽食の世を暮らしても、心が傲慢になって滅びたらお仕舞いで、幸せを運ぶ青い鳥は振り向いてもくれず、追えば追うほど遠くへ飛んで行ってしまうと思うのです。

 この秋(とき)、私達はお互いが生かされる社会を目指して、新しい価値観を模索し創造したいと考えますが、そのためにはその対象となる理想社会が必要となります。今、世界を見渡して模範社会を求めても捜し出すことは至難なようであります。このような時期に、私は心の故郷ともいえる昔の社会を思う時、青い鳥は私達が生きているこの日本にかつて羽ばたいていたと考えるのです。物資には恵まれなかったけれど、乏しい物資を分け合ってその日その日のよろこびを分かちあった昔は、精神的には恵まれた時代であったのではなかろうかと、当時を思い出します。

 活力に充ちた二十一世紀の未来社会を目指すには、物質文明に溺れて暮らした半世紀を顧みて、それ以前の戦前戦中の日本民族の価値観を探究せねばならないないということであります。「温故知新」とは「元(原因)を知ってこそ新しい未来が判断出来る」ということであり、この法則は古今東西永遠不滅の道理であると私は信じます。

 戦後の教育で育った現代人のほとんどが西洋式となり、儒教・道教・仏教に感化されて育った東洋精神文明を疎んじた結果、知性文明を過信して「宇宙(大自然)を征服する」とか「自分の力で生きる」という高慢な言葉が無意識に使われ、農耕民族であった日本民族が古来から大切に守り育ててきた「大自然の恩恵に感謝する心」や「社会の中で生かされている自分」という謙虚な心が希薄になったようです。

 歌は時代を反映すると言われますが「二人のために世界はあるの」という歌詞の歌が流行した頃を思い出す時、その歌詞の若い二人の幸せな心情が全く分からないわけではありませんが、無意識に歌っているうちにその独善の思いが習慣になることはお互いが暮らす集団社会のためには恐ろしいことだと思わされました。

 私達が生まれ生かされる日本は四季島(敷島)と称され、春夏秋冬が四ヶ月毎に規則正しく訪れてくれる素晴らしい環境に恵まれております。この国の民族には素晴らしい情操が育って当然であり、大和心(魂)とは「もののあわれを知る心」と、私はその昔教えられました。その大和心は、『平家物語』の序文の「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色盛者必衰の理をあらはす」に遺憾なく表現されています。

 この国に生まれたことを感謝し、この国を大切にしなければ自分自身を傷つけることになるのではないでしょうか。

 価値観の多様化などと言って文化人を気取る人々もいますが、心ならずもその思想が民族にとって最も大切な求心力を喪失させ、自分本位という利己心を醸成し、無意識のうちに住みにくい社会を形成していくような気がするのです。

 日本が国際化する中で「国」という観念を主張することは、ややもすれば国粋主義者と受け取られると思うのですが、今の日本人に最も欠落している情操は「国を愛する心」、即ち愛国心であると断言して憚(はばか)らない私であります。その理由は、私達が生かされている国の健全さなくして個人の幸せは考えられないからであります。

 さて、感謝の心、謙虚な心、愛国心の涵養はすなわち従来の心を変えることを意味しますが、人の心はわがままで、強制や示唆で容易に変わるとは思えません。それに生まれてから現在までの過去における家庭・社会の習慣で養われた従来の戦後の価値観には苔が生えており、その転換が至難であることは間違いのない事実です。

 しかし、人は困り果てた時は「聞く耳」を持つことになるそうです。その時期が到来するまでに自分の思想や価値観を研鑽して、いざという時に社会のお役に立つ自分になれるよう習練を重ねることが大切であり、またその不屈の信念に精進することが価値観になれば、自然にその姿や人生観が他に影響して素晴らしい結果をもたらすと思うのです。

 私は、これからの社会は憲法が保障する基本的人権の主張よりも、むしろ微力の自己が如何にして友人や地域隣人や社会の為に尽くせるか、という「助け合いの精神」が求められる窮極の時代を迎えると考え、できないながらその自覚において毎日の日常生活を営むよう心掛けています。

 敢えて結論づければ、自分の価値観を他に強制するのではなく、無言のうちに自己の価値観を常に実践して他に影響するという遠大な構想です。

 他人の心を変えるためには、先ず自分が変わることだと信じております。

 「苦にするな 嵐のあとに 日和あり」とは、私達が学んだ京北学園及び東洋大学の創設者、日本初代の哲学博士井上圓了(えんりょう)学祖の人生訓句であります。この極めて素朴な句の中に私は永遠不滅の真理を学び、自らの生活信条として常に信奉いたしております。

 今の日本社会を思うと、雨雲ばかりが垂れ込めて、明るい日差しは容易に見つからないようです。しかし、降りやまない雨はなく、雨天が百日も続くことは絶対にないのであります。

 いつの日か、日本人が精神的安らぎを求め、従来の価値観を転換し、戦後に歩いてきた道を引っ返さなければならない時が訪れます。戦後の価値観として習慣づけられた個々の競争による社会発展を見直し、人々が相互連帯感を深めて共生の道を模索する時代が、好むと好まざるとを問わず到来すると私は確信しております。

(平成10年10月10日)


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