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自由な心

荻野誠人

 厳しくするか、優しくするか。
 本音を言うか、建前で通すか。
 全力で生きるか、ほどほどで生きるか。
 感情を抑えるか、感情を表すか。
 弱みを隠すか、弱みを見せるか。
 励ますか、そっとしておくか。
 ありのままでいるか、自分を変えるか。
 逃げるか、踏みとどまるか。
 潔く辞めるか、執念深く居座るか。
 楽観的か、悲観的か。
 管理するか、放任するか。

 正反対、あるいは大きく違う生き方の方針。思いつくままに挙げてみましたが、こういった組み合わせはまだまだ沢山あるでしょう。

 ブログなどを回ってみますと、どちらか一方を勧める意見にけっこう出会います。その中にはうなずけるところも多いです。しかし、同時に、それではうまく行かない場合もあるのではないかという思いも湧いてきます。私の乏しい経験もある程度その思いを裏付けています。

 私は臨機応変にどちらも選べばいいのではないかと思っています。言い方を変えれば、二つの方針のどちらをとるか、という考え方をせず、最善策は何か、という発想に切り換えた方がよりよい結果をもたらすのではないかと思うのです。時には二つ以外の方針が出てくるかもしれません。たとえブログの書き手が一方を勧めていても、読み手はそれをあくまで参考意見として柔軟に受け止めればいいのではないでしょうか。

 例えば、最初の「厳しくするか、優しくするか」を取り上げてみます。仮に「子供は厳しくしつけるべきだ」という主張が書かれているとしましょう。これは、書き手が、厳しくして、いい結果を生んだから、あるいは、他人のいい結果を見たから、そう主張しているのでしょう。ですから、根拠のない意見ではないと思います。

 しかし、それは、読み手にそのまま当てはまるとは限りません。読み手は書き手とは違う人間ですし、読み手が接する子供も書き手が接した子供とは違う人間です。環境も違います。読み手がとても優しい、気の弱い人であったり、子供の方が、褒められるとやる気を出すのに、厳しくすると、すぐに傷ついてつぶれてしまうような性格であったり、といった場合は、果たして厳しくするのが最善の方法なのかどうか。そこは再考の余地があるのではないでしょうか。合わない方法を採用すれば、子供にも迷惑ですが、読み手の方も参ってしまう恐れがあります。その子供と読み手に一番合ったしつけ方を考え、しかもその日その日で状態も変わるわけですから、さらにそれにも合わせていく、というやり方ができれば理想的ではないか、と思います。

 それは、ちょうど料理の達人がその日の食材の状態・気温・湿度・お客の好み・体調など様々な要素を考慮に入れて最高の料理を作るのに似ているでしょう。もっとも、そこまでするというのは、あくまで理想で、私自身そんな境地には遠く及びませんが。

 では、なぜどちらか一方を勧める意見があるのか、といいますと、もちろん書き手がそう判断したということが一番大きな理由でしょう。ただ、一方を勧めるのは、明快な文章になって、読み手に受け入れられやすいという理由もあると思います。

 それに対して、臨機応変に、という私の意見などは、曖昧のそしりを受けるかもしれません。下手をすると、何でもいい、勝手にやってください、という無責任な意見だと受け取られかねません。しかも、読み手に判断や行動を任せるのですから、読み手の負担は大きいはずです。ですから、私のような意見はそれほど歓迎されないでしょう。しかし、人様の意見に従うのではなく、自分の目で自分や相手を見極めて、自分の責任で判断し行動するという作業は、時間はかかっても、結局その人をより成長させるのではないかと思うのですが・・・。

 以上ですが、最後に一言。もちろん私のこの意見も、あくまで柔軟に受け止めて頂ければ、ありがたいです。

2012・11・25


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