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ある人生相談

荻野誠人

次に引用するのはある大新聞に載った人生相談である。二人の有名人Y子さんとY夫さんが回答している。


二十九才のOL。結婚して六年になります。夫には何の不満もないのですが、結婚一年目のころから、すてきな男性に誘われると、デートをしたり、時には深い関係になったこともあります。でも、そんな関係になるのは、本当にいいと思う人だけで、二人しかいません。家庭第一ですから、夫には絶対内証です。

いつまでもこうしてはいけないと思うのですが、相手の男性の一人は親友とまで呼べる人で、失いたくありません。私はワガママなのでしょうか。

(埼玉 M子)


<Y子> 別に何の問題もないと思います。だれも傷ついていないし、あなた自身生き生きとしてるでしょうしね。が、何か事が起きた場合や年老いた場合、一番身近なのは夫・・というか、そうでないとちょっと苦しいかもしれません。

異性の親友は外側から精神的にあなたを支えてくれますが、しょせんはそこまでだと思うから。あなたは、かつて男が妻に対してそうであったように家人としてしか夫を見ていないのでは。夫と親友になれる道を探っておくことも必要かもしれませんね。

<Y夫> 以前の僕でしたら、困ったちゃんですね、と顔をしかめたことでしょう。が、現在は多少違った見方ができます。夫以外の男性たちとの関係をいますぐに終える必要はない、と思います。すべての関係なり状況なりを把握したうえでなお、いまの生活を送られているあなたは本来、かなり自省的な人だからです。

ほかの男性たちと会うことで心の空洞が埋められて、それが夫への献身的な妻をごく自然な形であなたが実践できる結果へとつながるならば、問題ないではありませんか。


私は回答を読んで、開いた口がふさがらなかった。と同時に、日本を代表し、私が長年愛読してきた新聞がこういうものを掲載したことが情けなかった。

いわゆる不倫が悪の行ないであることはいまさらくどくどと説明するまでもない。結婚は男女が他の異性とは肉体関係や恋愛関係をもたないことを前提とした上で初めて成立するものだからだ。いくら性の解放なるものが進んだ現在でも、自分の夫や妻に浮気をされて、平気な顔をしていられる人はごく一部であろう。そもそも人の心は自分の配偶者に対して、それほど寛大にはできていないのだ。そういったことは、誰もが常識としてわきまえている。だからこそ相談者も、「夫には絶対内証」と言い、「いつまでもこうしてはいけない」と思い、苦しんだり迷ったりした末に投書したのであろう。

それなのに回答者たちは、夫に対して不誠実な相談者をたしなめるどころか、不倫相手との関係を断つように、とさえ言っていない。どうも回答者たちは、私が常識と思っていることを、そうは思っていないようである。その上、Y子さんは「誰も傷ついていない」から「別に何の問題もない」と断言している。だが、その考え方は「知られなければ何をやってもいい」という考え方につながってはいないだろうか。また、表現がややあいまいだが、不倫を続けていると、いざというとき「損」をするというような意味のことも言っているが、Y子さんは相談者の夫を人間扱いしているのだろうか。一方、Y夫さんの方は「ほかの男性たちと会うことで心の空洞が埋められて、それが夫への献身的な妻をごく自然な形であなたが実践できる結果へとつながるならば」と言っているが、こんなことが実際可能かどうか疑問だし、そもそもそのようなことをしなければ「献身的な妻」になれない人に結婚生活を続ける資格などあるのだろうか。結局、回答者は相談者をいっそう迷わせてしまったのではないかと思う。

相談者の苦しみや迷いの原因は本人の不倫なのだから、それをやめれば問題はきれいに解決する。回答者はそう答えるべきではないか。

その考え方は余りにも単純だ、割り切り過ぎている、と批判の声が上がるかもしれない。確かに多くの人が不倫に走る原因は様々であろうし、中には同情せざるをえないようなものもあるのだろう。そういうことに配慮するのも大切であろう。一人一人に合った解決策を考え、場合によっては長い時間をかける必要もあるのだろう。しかし、やはり突き詰めれば、この種の問題の解決方法は相手との関係を断つこと以外にはない。それができないというのは、どんなに理屈をつけようとも、どんなに体裁をとりつくろおうとも、結局快楽優先で、夫に対する誠実さに欠けていると言わざるをえないのである。

不倫は悪だからおやめなさい、といった単純なことが、なぜずばりと言えないのだろうか。それは回答者の見識によるところが大きいとは思うが、善悪などという言葉を堂々と持ち出すのをためらわせるような今の世間の風潮もあるのだろう。善悪を説くことは、ときに人を批判し、個人の気ままな生き方にたがをはめ、いやおうなしに他人や社会に目を向けさせ、欲望を抑えることにつながる。それは、物質的な繁栄を基礎に、一人一人が小さな趣味の世界を作り上げ、互いに干渉せず、自由に暮らしている現在の多くの日本人の生活様式とまっこうから対立する。善悪を説く者は、時代遅れや出しゃばりや優等生ぶる奴と見なされ、煙たがられる。だが、善悪の不要な社会などがありうるのだろうか。それは人々が全くバラバラに生活し、互いに何の影響も与えないような社会であろう。そういうものはSFの中にしか存在しない。それに、そもそも善悪を軽視してきた現在の日本の社会が、精神的な面で昔よりも住みやすくなったのだろうか。

最後に言いたいのは、世界有数の大新聞がなぜこういうものを掲載したのか、ということである。一千万人を軽く越える人が読む紙面を作る人たちにはたいへんな責任がある。この回答を読んで、それほど確固とした倫理観をもっていない読者は、「そんなものか」と知らず知らずのうちに洗脳されてしまうだろう。そしてその人たちは自分の身の回りに起こった不倫には寛大となり、そのうち自分自身も何の抵抗もなく不倫を始めるかもしれない。つまり、本来社会を善導するべき新聞が、世の堕落に手を貸すことになるのである。世間が善悪などに無頓着になっているのならば、その風潮に迎合するのではなく、警鐘を鳴らすのが新聞の務めではないのか。ひょっとすると善悪の感覚の麻痺が新聞社内にも広がりつつあるのだろうか。

私はかなりがっかりしたが、それでも救いは、この人生相談が週一回だけ夕刊に出るやや遊びの要素をもったものであることだった。だから、多少おかしな回答を読んでもしかたがないと思っていたのである。もっと真面目な人生相談は毎日朝刊に掲載されていて、私も色々と勉強させてもらっている。ところが、この原稿を書いている間に、その本格的な人生相談に、Y子さんたちの回答とそっくりなものが現れたのだ・・。私はもう、反論の投書をする気もなくしてしまった。

(1992・1・8)


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