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人生の目的について

荻野誠人

人は何のために生きるのか----。

人生についてまじめに考える人が一度は発する問いであろう。

それに対する答えは様々である。「愛のために」「楽しみのために」「人格を完成させるために」「幸福のために」「この世に天国を築くために」等々。私も偉そうに似たようなことを答えた記憶がある。

だが、もし今尋ねられたら、少々意地悪だが、まずこう言うだろう。「人生に目的などない」と。

もちろん、この言い方は誤解をまねくので、次のような補足が必要である。人類共通の人生の目的、神のような、人類を越えた存在から与えられている目的、一人一人が生まれる前からすでに決まっているような目的----私の言いたいのは、そのような人生の目的はない、ということである。

証明することはできないのだが、そもそもこの宇宙全体が何らかの目的のために存在しているとは私には思えないのである。宇宙は単に存在しているだけである。従って、宇宙の一員である人類も何らかの目的のために存在しているのではないということになる。また、私は無神論者ではないが、自然や人を超越した万能の創造神は存在しないと思っている。だから絶対者が人類の外から目的を与えてくれるということもありえないことになる。まして人が他人の目的を決めることなどできはしない。人にできるのは助言したり、批判したりするところまでである。こういった理由で、本人の意志を越えた人生の目的などはないという私なりの結論になる。

では人生には全く目的はないのかというと、もちろんそうではない。目的はある。だが、人生の目的は一人一人が自分で見つけるものである。作り上げるものである。人に尋ねたり、本を読んだりして模索するのはいいのだが、結局決めるのは自分自身である。

人は何のために生きるのか、という問いをいつまでも発する人がいたとしたら、ひょっとするとその人は、他人が与えてくれる、あらかじめ決まった目的があると思い込んでいるのかもしれない。だが、違うのだ。目的を決めるのは神でも人でも書物でもない。自分自身なのだ。

当然人の数だけ人生の目的があることになる。いや、中には、人生に目的などないという結論に達する人もいるかもしれない。だが、それでかまわないではないか。一人一人が自分の人生を自分なりに意味づけて生きていくべきなのである。

(1992・8・14)


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