目次ホームページヘ  作者別作者別


自動翻訳機の光と影

荻野誠人

 『読売新聞』(夕刊/2005.1.13)によると、2005年度にも翻訳機が実用化されるようです。例えば、携帯電話で「こんにちは」と言うと、相手の中国人には「ニーハオ」と聞こえるのです。
 手元にある富士ゼロックスの2000年末の「新世紀大予想」(『週刊新潮』掲載)では「相手の国語が話せなくても会話できる小型音声自動通訳機が実用化する」のが2012年となっているので、予想をはるかに上回る早さです。
 この新発明は遅かれ早かれ世界中に普及するでしょう。何と言っても便利ですから。そして、ますます人同士、国同士のつながりが緊密になるでしょう。外国語の苦手な人が嬉々として海外へ出かけていくさまが目に見えるようです。翻訳機のすばらしさは誰が見ても明らかです。
 ただ、どんなすばらしい発明にも光だけでなく、影の部分があります。その発明が実用化されると必ず失われるものが出てくるものです。それは何か。
 第一に、外国語学習熱が低下すると思います。特に企業やビジネスマンは余分な時間と費用を節約するのに余念がありませんから。
 しかし、外国語を学ぶということは、単に道具を使いこなすのとは違って、その国のものの考え方や文化を学ぶことですから、その機会が減れば、その国に対する理解が浅くなりかねません。つまり、一見交流は盛んになるのですが、それは表面的なもので、相手に対する十分な理解や、理解しようという姿勢を伴っていないことになると思うのです。
 第二に、じかに外国人に接する体験が減ると思います。妙な意見だと思われるかもしれません。翻訳機があれば、外国人と話したり、出会ったりする機会が飛躍的に増えるはずですから。しかし、翻訳機を通して接する外国人は、ちょうど吹き替えされた外国映画の登場人物のようなものです。少なくとも母語で話す外国人との生の接触と比べれば、まがいものの体験になることでしょう。相手の外国語が自動的に日本語になったからといって、外国人の発想まで変わるわけはありませんが、「いやに自己主張の強い日本語だなあ」などと感じるぐらいがせいぜいではないでしょうか。結局本物との接触が減るのですから、外国語学習熱の低下と同様、相手に対する理解が浅くなるかもしれません。
 ところで、世界でアメリカが一番国際化されていない。なぜなら世界中がアメリカに 合わせてくれるから。こういう意見を聞いたことがあります。英語は世界共通語になっていますし、あり得ることだと思いました。そうだとすると、世界はみんな自分たちと似たようなものだと思い込み、外国を理解しようとする発想に乏しいことになりますから、アメリカが必ずしも外国から好かれていない原因の一つはこのあたりにあるのかもしれません。
 翻訳機が世界中の言語を訳せるようになって普及すれば、世界中の人がアメリカ人に似た感覚になるのかもしれません。日本人なら、外国人がみんな日本語でしゃべってくれますから、ずっと日本人のままでいられます。私たちは、外国人というのはちょっと外見が変わっているだけで皆日本人みたいなものだと無意識に思い込むでしょう。人間が以前と比べると単純になり、想像力も衰えるわけです。そうなると世界中の人が今よりも自分中心の発想に傾くので、摩擦が大きくなるかもしれません。
 しかし、世界中の人同士の交流が今とは比べものにならないほど活発になることは明らかです。その交流は質の面では落ちるでしょうが、量の面では現在をはるかにしのぐでしょうから、それが欠点を打ち消してしまい、大した問題は起きないかもしれません。例えば、現代語訳の『源氏物語』が、原典よりもはるかに劣っているとしても、より多くの人に鑑賞の機会を与えるという点では、欠点を補ってお釣りがくるようなものです。
 ただ、いずれにせよ、自動翻訳機の影の部分にも注目しておいて、弊害が出来るだけ小さくなるようにする必要はあると思います。少なくとも翻訳機で世界を理解したと錯覚してしまわないように心の準備くらいはしておいた方がいいのではないでしょうか。

2005・3・8


目次ホームページヘ  作者別作者別

ご感想をどうぞ:gb3820@i.bekkoame.ne.jp