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自然界に学ぶ組織論 イワシの場合

河合 駿

 名古屋駅前にイワシ料理の専門店があります。
 「いらっしゃい、まいどぉ! 今日はサシミのいいのがあるよ! 」
 板さん(料理する板前さん)の元気な声に応えて「じゃあそれをもらうよ!」。
 イワシのサシミに生姜のきいた醤油を少しつけて舌の上に乗せると、芳醇な香りとともに口の中いっぱいに、やわらかく溶け込んできて実にウマイ。 続いてイワシのてんぷら、イワシの塩焼き、煮物、スリ身のお吸い物とイワシづくしの料理に舌鼓を打つことになります。 出張で一緒に来ている仲間達と飲むこのひと時は何とも緊張がほぐれて、ビールの進み具合もひとしおというところでしょうか。
 あるとき、このお店で「今日はサシミが終わりです!」という日がありました。一番箸はサシミからという私にとって、これは極めて残念です。理由を聞いてみますと「今日は活きのいいのがあまり入ってこなかったから、もう出せません」ということです。ナルホドたしなみもいいお店です。
 イワシは海にいるときは大集団となって行動します。群れをなすことによって他の大きな魚に対して、あたかもより大きな一匹であるかのように見せ(これを“擬態”といいます)食われまいと威嚇と牽(けん)制をするからです。このような群れは、漁をする人間にとってはシメタものです。 “一網打尽”というのはイワシのためにある言葉かもしれません。
 イワシは魚へんに弱いと書きます。鰯。名は体をあらわすのでしょうか。 陸揚げすると殆どのイワシは直ちに死んでしまいます。やはり弱いのです。 このお店では、生きている状態で、なおかつできるだけ活きのいいイワシを得るために、エアー入りの特別な水槽をしつらえて運んでもらっていました。 それでも、お店に着いたときは20%から30%は死んでしまいます。
 三ヶ月ぐらいたって、また出張の機会に、いつものコースをとりました。 いつもの板さんは極めて上機嫌です。「大将、今日はサシミはいくらでも注文してくださいよ!」。ハハァ、上機嫌の理由だなと思いました。 そのことを問うと、最近の生存率は90%以上で極めて成績がいい。 だから、サシミは勿論のこと煮物やてんぷらの味もなかなかよろしいとお客さまが誉めてくださるようになったのだそうです。いつもより客の入りのいい様子を見ながら、私はまたしつこく尋ねてみました。
 元気なイワシが、より多く入ってくることになった理由を、板さんは得意満面に、次のように語ってくれたのです。 あるとき、イワシのほとんどが、水槽の外まで飛び出そうとするくらい元気な姿で店に着きました。これにはびっくり、どう したんだろう、入れる魚を間違えたんではないのかなと思ったそうです。そして店の水槽に移し替えをしていたところ、中に自分の二の腕くらいの大きさのハマチが一匹紛れ込んでいまし た。ははぁ! これだな! と、板さんはこの事件を大切にし、それ以来水槽の中にはイワシを好んで獲物にしているハマチやスズキなどの大きな魚を一匹入れてもらうことにしたのだそうです。

 ということで、自然界に学ぶ組織論、今回はイワシの場合をお届けします。 もう結論が出ており、これ以上の解説は蛇足かと存じますが、組織論の本論ですので、いましばらくお付き合いください。
 似たような話で、この逆の例もあります。信州に古くからの言い伝えで、50個入りのリンゴ箱の中に、1個の傷のついたリンゴが紛れ込んでいると一晩で全部腐ってしまう、というのがあります。イワシといい、リンゴといい、たった一つの異質な存在が、全体に及ぼす影響を表した例としては好対照で面白いと思います。イワシの場合は、ハマチに食われまいとする適度な緊張感が生存率を高め、リンゴの場合は、勝手な作り言葉で恐縮ですが、 リンゴウィルスに感染したようなものではないでしょうか。
 さて少し固くなりますが、一般的に、ある目的を持った二人以上のまとまりの単位を組織と呼んでいます。その組織は社会(お客様)から支持され、社会への貢献度を高めるほどに、だんだん大きくなってきます。最初は5人10人の小さな規模から、100人200人の大組織に変貌していきます。このような相乗効果を生成発展といいます。
 仕事量の多さにくらべて、組織が少人数であればあるほど、誰もが何でも屋で、あれも兼務これも兼務でかなり大幅な権限委譲を受けます。結果その人たちはよく成長し、精鋭になるのは自明の理です。俗にいう最初から少数精鋭主義でやろうというのは間違いで、人は大きな事を任されれば任されるほど、期待されれば必ずそれに応えるようになるもので、普通の人でもだんだん精鋭になっていくというのが正解だと思います。
 少し話題が逸れましたが、組織が大きくなっていくと今度は担当分野別に専門細分化し、各単位ごとに組織を束ねる長を置き、マネジメントを行なうようになります。ところが更に肥大化してくると、この長は対外との折衝や他の関連組織長との調整に忙しくなります。加えて、この長のカバンだけでなく、提灯や太鼓を持って、お世話する方にだけ忙しそうにする人も増えてきます。上司も上司で、このような露払い型ゴマスリ社員が可愛く映り、超便利なので実力以上の評価で昇進をさせ、本来の人事管理のあり方を見失っていきます。結果として、会社の上層部では、やがてお客様も見えなくなり、部下管理にも目が届かなくなることは必定で、部下の方はこれをいいことに、俗に言う“サボリ心”という怠慢現象をおこしてきます。
 マグレガー理論(人間は生まれながらに怠惰な人=X理論、そ うでない積極型の人=Y理論。がいるという説、性悪説、性善説ともいう)を持ち出すまでもなく、上司の目を盗む輩は必ず出てきます。すなわち腐ったリンゴの種族です。いかに優秀な人でも怠惰な環境に入るとすぐ慣れてしまうのも困ったものですが、今日紙上を賑わすお客様無視の企業倫理、かつて話題の大企業病などもこんな現象から派生し、組織全体が弱くなっていったのではないかと思われます。
 この場合、真に必要とする組織の長は名古屋の板さんが認めたハマチのような、他に強い影響を及ぼし、生き生きとした環境を作る人ではないかと思うのです。


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