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自然界に学ぶ組織論 イヌの場合

河合 駿

 東京の立川市は、私が住んでいました昭和50年代のころの様子とはうって変わって、大変すばらしい大都会に変貌しています。ここの駅前大通りに、お昼の時間は近くの会社に勤めるサラリーマンに、おいしい弁当を提供し、夜は割烹料理でにぎわうお店があります。当時、お店の出入り口に“子犬差し上げます”という小さな貼り紙がありました。1ヶ月たち2ヶ月たってもまだ貼ってあります。店の女将さんに「どんな犬ですか?」と尋ねますと、「5月5日に生まれた男の子なんですよ、紀州犬ですが、貰い手がなくて...」。何でも4匹生まれて、他は早く貰われていき、この子だけ残ったのだそうです。あいにくの梅雨空で小雨の降る中、早速ウラの駐車場にある犬小屋に行き、マリちゃんという母犬のそばで、寒そうに震えてうずくまっている子犬をみせてもらいました。うーん、そりゃぁー残るハズだ。真っ白な毛並みはさすがに紀州犬の様子ですが、やせっぽちで弱々しく、鼻の色は黒と肌色とのブチで、おまけに右目が左目より少し小さいときています。言ってみればかわいくないし“美男子”には成長しないだろうと思えるのです。女将さんには「今日家族会議で決めるから」といって帰りました。

 さて、どこの家族会議でもだいたいこうなるのではないかと思いますが、子供達が大賛成なのに、母親の方は「どうせ、お散歩もシャワーも、食事の世話も私がやることになるんでしょ。金魚だって、スズムシだって、インコだって、みんなそうじゃないですか。家族の男三人の世話をして、またオスが一匹増えるのですか?」と難色を示します。そして「お父さんは、自分ですっかり決めてきたのでしょうから、朝夕のお散歩だけはお願いしますよ」と。我が家でも、そうなりました。

 次の日、子犬をダンボールの箱に入れてもらい、愛車カローラに乗せて、心細そうな様子に声をかけてやりながら我が家に到着。家族全員でお出迎えです。名前は、二男が提案した“チロちゃん”で決まり。

 チロちゃんとは、どこへ行くのも一緒で、東京では近くの多摩川上流に釣りのお供、朝霧高原のキャンプ、大洗海水浴場、白馬のスキー場。転勤があっても家族の一員として移動します。大阪では淀川河川敷の大間公園、兵庫では近くの山や丹後半島のキャンプなど、いつも家族とともにありました。体は日増しに大きくなり、思いのほか男前になり、堂々とした体躯は立ち上がると子供達をもしのぐほどになりました。気性も荒く、良い番犬に育ってくれたのです。

 家族関係では、チロちゃんは私には絶対服従となり、家内には食事の世話をするのでこれも従順な姿勢を示します。問題は子供に対する態度です。小学3年のお兄ちゃんの方は腕力もありますからそうでもないのですが、小1の二男が散歩に連れて行くために犬小屋の前に行くと、「ウー!」と唸り声をあげ、威嚇するのです。そのうち二男は散歩にいくのがいやだと言い出しました。  
 さて、チロちゃんが、世話好きの二男に対してなぜ「ウー!」をやったのでしょう。チロちゃんは、二男だけでなく、食事中は誰が来ても「ウー!」です。知らない人が来ても、庭にネコが入ってきても「ウーウー! ワンワン!」です。やはり、先祖からの習性が残っているからでしょうか。

 犬の先祖は日本では絶滅しているオオカミだといわれております。オオカミは、二から三代の家族単位、即ちおじいちゃんやおばあちゃん、お父さん、お母さん、子供たちの群れで生活します。集団は20頭から30頭にもなりますが、自ずとそこには担当役割がつきます。獲物を追いかけるのが速いオオカミ。待ち伏せして一牙でしとめるのがうまいオオカミなど、各々役割を演じます。若いオオカミに戦い方を教えるおじいちゃん、子育てを教えるおばあちゃんもいたかもしれません。

 オオカミの集団は順列がハッキリしています。集団を仕切るアルファ(ボス)は、家族集団が認めた一頭がこれにあたります。やたら強いものがボスになりたがる人間やサルなどの他の動物集団と違って、みんなで選ぶオオカミの世界には、高度な社会性を見るような気がします。なお、素人考えで楽しく推察してしまうと専門家の皆様にお叱りをいただくかもしれませんが、順列はアルファを頭に父親や母親、兄や姉などの大きい順で、食事の順番もこれに倣っていたと思われますが、例外としておじいちゃんやおばあちゃんには特別に敬意をはらい、獲物が少ない時は年寄りや子供たちにおいしいところを優先的に与え、大人たちは我慢する日もあったのではないかと思うのです。
 そういったことからか、どんな犬でも人間の家族に飼われると、顔かたちの様子は違っても自分は家族の一員なのだと思い込み、順列を守ります。一番強いのはオヤジだということも知っています。しかも、チロちゃんが二男に対して従順さを示さなかったように、自分の順番はビリではないという態度を取ります。順番の早い遅いが、死活問題になるからでしょうか。知らない人が来ると吠えるのは、我が家族を守る姿勢を誇示するとともに、この人が家に来て、順番をとられないようにするためではないかと考えられます。この従順かつ不敵な習性が、人間には番犬として大いに役に立つということになったに違いありません。犬の目に人間はどのように映っているのか、人間をどう思っているのか、犬の言葉がわかれば聞いてみたいものだと思います。

 チロちゃんの晩年、大学生になった二男が東京の下宿先からたまに帰ると、チロちゃんはきっと寂しかったのでしょう、千切れるほどにシッポを振り、ペロペロと顔中を舐めまわし、喜んで散歩についていくようになりました。

 一昨年の5月5日のチロちゃんの誕生日には、連休で帰省してきた子供たちとともに、チロちゃんのために庭でバーベキューのお祝いをしました。そして6月、チロちゃんは眠るように17歳1ヶ月の生涯を閉じました。

 いろいろな思い出が甦ってきます。はじめて家に来たときのこと。海水浴で子供たちと一緒に泳いでくれたこと。私が再び東京で単身赴任となり、子供たちも独立してしまうと 、家内ひとりになった家を健気にも守り続けてくれたこと。晩年、後ろ足が不自由になり散歩も嫌がったので、首輪も鎖もはずしてやると、うれしそうに庭中を歩いてくれたこと。

 チロちゃんは立川市で生まれた兄弟達の中では、一番長生きしてくれました。今年はチロちゃんの3回忌。6月には宝塚動物霊園の法要で、また会いにいこうと思っています。


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