目次ホームページヘ  作者別作者別


生き仏様(天使の修業その6)

荻野誠人

 男の子が道で二人連れの見知らぬ若者に出会いました。若者は持っていた大きな亀をくれました。持て余していたのでしょう。でも、道端に捨てるのは気がとがめて、たまたま出会った男の子にあげることにしたのでしょう。
 ずっしりと重い亀です。両手でなければ持てません。首と手足を伸ばしてバタバタしています。男の子はこんな亀を持ったことがありませんでした。まるで天からの贈り物のようです。お礼もそこそこに、走り出しました。みんな見に来るぞ。みんな驚くぞ。家に帰ると、息を切らせながらお母さんに亀を飼いたいと言いました。ところが、体の具合が悪くていらいらしていたためか、
 「すぐに川にでも捨ててきなさい」と強く言われてしまいました。

 夕日が沈んでいきます。巡礼姿のピコエルとテラエルが川の土手の上を歩いてきます。ピコエルが、川岸にくだる階段に座って亀を抱いている男の子を目にしました。赤く染まったほおがキラリと光ったのを見逃しませんでした。ピコエルは階段を降りて話しかけました。亀を捨てられずに、どうしていいのか分からなくなっていたのでした。ピコエルは、昔拾ってきた子猫をむりやり捨てさせられたことを思い出しました。猫を入れた箱を残して、振り返らずに懸命に走って逃げたのでした。・・・あれからどうなったんだろう。今でも生きているんだろうか・・・。
 「じゃ、僕がお母さんに話してみよう。連れて行ってくれないかな」
 男の子はにっこりして、土手の上の道に出ると、ピコエルの前を歩き始めました。

 夕日を背景に、亀を抱いた男の子を先頭に、やせたピコエル、少し離れて大きな荷物を背負った飛び抜けて背の高いがっしりしたテラエルが歩いていきます。テラエルは、余計なおせっかいではないかと最初思いました。家にはれっきとした事情があるのかもしれないし、我慢したり、あきらめたりするのも大切な経験だというわけです。でも、もし自分が先を歩いていて、泣いている男の子を見つけたら、やはり放ってはおけませんし、いったん話を聞いてしまったら、何かしてあげたいと思うでしょう。結局、ピコエルと似たようなことをするだろうな、と考え直しました。
 二人ともお母さんをうまく説得できるとは思っていませんでした。こうなったら、最後まで面倒を見なければ無責任だということで、失敗したらどうすればいいのか、めいめい考えていました。
 「近くに池でもあれば、そっちに放す方が川よりもいいだろう。時々は会いに行けるかもしれないからな」とピコエル。
 「天界で亀飼うなんて言ったら、今度は僕が怒られちゃうよなあ」とテラエルは天使たちがどんな顔をするか想像してにやにやしていました。

 土手の上の道を降りて、あぜ道を通り男の子の家に近づく頃には、日は沈んで、あたりは次第に薄暗くなっていきました。男の子の家の庭に入ると、テラエルは立ち止まりました。お母さんの説得はピコエルに任せようというわけです。
 すると、「もしもし」と後ろから声をかけられました。振り向くと、中年の男性と若い男性が立っています。中年の男性がおずおずと言いました。
 「この村のミタと申します。大変失礼ですが、生き仏様でいらっしゃいますか」
 「えっ。いえ、違います。ただのお寺めぐりの旅人です」
 びっくりしたテラエルはそう言いましたが、何が起こりつつあるのか、直ぐに悟りました。ピコエルやテラエルがそれまで通った村々でやってきた人助けがおおげさに伝わっているに違いありません。このあたりには、仏様が旅人に姿を変えて、貧しい人を助けに歩いているという言い伝えがあったのです。
 「いえいえ、お隠しにならなくてもけっこうです。そんなに背のお高い方は、生き仏様以外いらっしゃいません。お待ちしておりました。おい、村長に知らせて来い」と中年の男性は若い男性に命じました。
 「生き仏様だーっ」若い男性は叫びながら走っていきました。
 「確か生き仏様はもうお一人いらっしゃるはずでは」
 「あそこです」
 テラエルは困った顔をして、男の子の家を手のひらを上に向けて指しました。
 「ええっ、私の家にお出でになっているのですか」

 「お寺めぐりの旅のお方なら、喜んでおもてなしいたします。でも、それとこれとは別でしょう。余計なおせっかいというもんじゃないでしょうかね」
 男の子のお母さんはピコエルに言い放つと、くるりと後ろを向いてしまいました。
 「ああ、やっぱりだめか・・・」とピコエルは思いました。男の子も下を向いてしまいました。そこへ中年の男性があたふたとやって来て、お母さんに言いました。
 「おい、どうしたんだ」
 「いや、この人が、この子が拾ってきた亀を飼ってやれなんて言うもんだからさ」と不機嫌そうに答えました。
 「この馬鹿、何てことを。このお方はあのありがたい生き仏様だぞ。めったにこの世にお出ましになることはないんだ。直接お目にかかれるなんて、こんな運のいいことはないんだぞ」
 お母さんは、気をつけ、をしたように背筋を伸ばしました。
 「えっ、それでは、あなた様が奇跡で病気をお治しになるという・・・大変失礼いたしました。生き仏様とは知らず、どうかお許しくださいませ」
 「馬鹿な嫁を何とぞお許しください」と二人そろってピコエルの足元に土下座しました。
  男の子は、見たこともない両親の振る舞いにあっけにとられています。ピコエルはしめた、と思いました。 とぼけた口調で
 「あのお、亀ですが・・・」
 「はいっ、生き仏様の仰せでしたら、喜んで飼うことにいたします。大切にします。」とお母さんは顔も上げずに言いました。
 「やったー」と男の子は叫び、亀を抱えて庭を走り回りました。テラエルは思わぬ話の展開に苦笑いしています。
 「さ、さ、それでは村長の家までご案内いたします。今夜は心ばかりのおもてなしを・・・」と男性は立ち上がり、先に立って歩き始めました。
  無下に断るわけにもいきません。二人は、亀を抱いたままにこにこしている男の子に手を振りながら、付いていきました。

 ピコエルは浮かない顔をしています。先ほど「しめた」と思った自分の心の動きに何かずるいもの、卑しいものを感じていたのです。テラエルはその表情でピコエルの心の動きを察しました。村人には聞こえない心の会話が始まります。
 「今回は相手を納得させる理想の解決にはならなかったけど、男の子あんなに喜んでたし、あれはあれでよかったんじゃないの」
 「うん。それはそうなんだけどね・・・僕はあのお母さんの弱みにつけ込むようなことを・・・相手を権威で押さえつけるようなことをやってしまったからね・・・」
 「でも最初からそれを狙ったわけじゃない。たまたまそういう機会が訪れた、というわけさ。君だって、あのまま亀を捨てる方がましだったとは言わないだろ」
 「それはそうだ。・・・でも、味をしめて、これからは、最初から狙おうという気持ちが生まれてしまうかもしれないな、たとえ心の片隅であっても」
 「そう思って用心してれば、たぶん大丈夫だろ。万一やっちゃったら、またその時考えればいい。心の片隅のことなんか今から考える必要はないよ」
 「そうかなあ・・・」

 いつの間にか、二人の後を何人もの村人がぞろぞろ歩いていました。

2008・7・2


目次ホームページヘ  作者別作者別

ご感想をどうぞ:gb3820@i.bekkoame.ne.jp