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一言多い

荻野誠人

 私の友人にTさんという女性がいる。この人は明るくてなかなか温かい人なのだが、思ったことをそのまま口にするタイプで、言われる人の気持ちを考えているのか、ちょっと疑問である。自分で言っていたが、Tさんは友人に「がさつ」と言われているとのこと。実は私もカンカンに怒らされたことが一度ある。ムッときたことなど、数えきれない。しかも本人はそれに気づいていないのだ。しばらく経ってから文句を言うと、平謝りに謝ったりする。

 この人と話していて、気になるのが、やたらに人物評価が多いことである。それもどちらかといえば否定的な評価だ。Tさんは噂話が好きだが、Aさんがこうしたああしたといった話の終わりには、「Aさんはお人好し」「ずれてる人」「○○に向いてる人」「見栄を張る人」「おっちょこちょいな人」「不寛容な人」などとちょくちょく人物評価を持ち出してくるのである。特に相手ともめているときは、もう洪水である。率直なTさんのことだから、時にはAさん本人にも同じように言ってしまうのだろう。悪意がないのはよく分かるのだが、「がさつ」と評価される原因の一つはこのあたりにあるような気がする。

 私は、特に相手との間に問題が持ち上がったようなときは、問題になっている「こと」についてのみ述べ、相手の「人柄」には出来るだけ触れないようにしている。本当は「あなたは言うこととやることの違う人ですね」「人の気持ちが分からない人ですね」などと言ってしまいたい。しかし、実際には、「あなたの言ったこととこの行動は食い違ってますよ」「あなたはそれをいいと思っているかもしれないけど、Aさんにとっては迷惑ですよ」としか言わない。それも穏やかで上品な言い方で。

 その理由は二つある。一つは、人物評価は相手を怒らせ、問題を余計に複雑にしてしまうからだ。自分のやったことを批判されただけでも不愉快なものである。まして頼みもしないのに「あなたは○○な人だ」と言われれば、自分を全面的に否定されたような気になるだろうし、勝手に格付けされた、レッテルを張られたと猛反発する人もいるだろう。相手は感情的になり、話し合いの余地など吹っ飛んでしまう。私の心には、不愉快な相手を根本的に否定してやろうかという気持ちも湧くが、それをやったら問題がますますこんがらかってしまうのだ。

 本音を言わずに人間関係は築けない、という反論が出るかもしれない。しかし、それは相手が人物評価を求めてきた場合や、相手がよほど冷静で批判を受け止める度量がある場合などに限られるのではないか。特に何かもめごとが起こっているときは、人物評価はやはり相手を不必要に怒らせてしまうだろう。それに、そもそも評価などしなくても、もめごとについて本音を言って十分人間関係を築けるはずだ。

 人物評価を避けるもう一つの理由は、それが難しいからである。たった一つの行動でその人の評価を下すのは実に危険である。それでもTさんのようにやってしまう勇気のある人もいるようだ。それなら一連の行動を見れば評価が下せるかというと、そうはいかない。第一評価しようとしているこちら側にどれだけ相手を見抜く洞察力があるかが問題だ。色眼鏡で見ていれば、どんなに多くの行動を見ても、歪んだ評価しか出来ないのは言うまでもない。それに一連の行動といっても、それは私だけに見せているのかもしれない。つまり、相手によって行動を変えるということである。となると、一連の行動を見ても、人物評価の参考にはなかなかならないわけだ。だから、うかつに評価をすると的外れとなって、それがまた相手を怒らせかねない。要は逆効果なのだ。だから、私は人物よりは判断しやすい当面の問題に集中するのである。私はこの作品でTさんの人物評価をしてしまったが、もちろん、それが必ずしも正しいとは思っていない。

 実際、Tさんを始め、色々な人が下す評価を聞いていると首を傾げることが多い。Tさんの評価も、相手を怒らせているのだろう。それでも、Tさんの場合は人柄の良さがそういった事態を救っている。私も、いくら怒らされても、Tさんと絶交しようと思ったことは一度もない。 しかし、私が同じようなことを言ったらどうなるであろうか。こちらは誇れるほどの人柄の持ち主ではない。あっと言う間に四面楚歌となってしまうだろう。だから、いつも「あなたは」と言いそうになっては、自分をぐっと押さえつけるのである。

(1998・2・25)


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