目次ホームページヘ  作者・テーマ別作者別

人助けの一風景

向井俊博

 休日の昼下がり、「もーし、もーし」というただならぬ叫び声に、思わず読みかけの新聞を脇におき、駅のホームのベンチから後ろを振り返った。同じホームの反対側番線の線路沿いに、乗り捨て自転車がいっぱい並ぶ道があるのだが、そこの金網フェンスに、通りすがりと思しき中年の男性がしがみついて、線路を指さして声を上げている。
 何事かと駆け寄ってホームから下を覗き込むと、背広姿の若い男が線路脇にうつぶせに倒れていて、まったく動こうとしない。フェンスの向こうの男性は、駅員に知らせてくるからと言うなり、猛スピードで走り去る。
 事態がのみこめ、電車の進入がないのを半ば本能的に確かめるや、夢中で線路に飛び降りた。すぐさま男のわきの下に手を入れ、上半身を起こしたが、ぐにゃぐにゃとして正体がなく、重いことおびただしい。横顔をうかがうかぎり血の気が失せ、意識もなさそうで、乱暴に抱き起こしたのに何の反応も見せない。昼間なので酒酔いとは思えず、貧血でも起こしてホームから転落したのだろうか。
 それはとも角、夢中で抱き上げ、ホームの角に引っ掛けて上半身をのせるが、非力の私には下から支えてこの状態にするのが精一杯であった。すぐずり落ちてくるので、焦っているせいか、もう一押しがどうしても出来ない。これはいかんと慌てて助けを求めるべくホームを見回した。
 同じホームにいてこちらに近づかず、まるで観光団体のように固まって見守る女性達の中に、唯一若手の男性の姿が目に入るや、救いの神とばかりに手招きして助けを求めた。動き出 してくれた男性にほっとする一方、力のあるはずの男性が、見守るのみで何で手を貸してくれないのかと、はしなくも不満が走り、瞬時かっとしたのは否めない。
 やっと走り寄ってくれた男性が、ホームの上から手を貸してくれ、何とか助け上げ、傍のベンチに座らせることができた。短時間ではあったが緊張の中で動いたせいか、この時ばかりは汗が一気にふき出してきた。
 思わず深呼吸したところへ駅員二人を伴って、道から急を知らせてくれた男性が汗だくで駆けつけてくれた。さすがに駅員は手馴れたもので、救い上げた男性を軽く揺さぶったり声をかけたりしていたが、青白い顔に意識が戻る気配がないとみるや、すぐさまもう一人の駅員に救急車と担架の手配を指示した。このきびきびした動作に、ほっと胸をなでおろすことができた。
 そのうち駅員が救助のいきさつの聴取を始めたが、途端に遠巻きの野次馬の中から手助けをしてくれた先程の男が前に進み出てきて、説明を一手に引き取り、身振り手振りで話を始めた。最初に発見してその場の救助を促し、更に駅員に急を知らせた最大の功労者たる男性は、やれやれといった表情で、私に会釈すると足早に去っていった。

 やがて電車がやってきた。固まっていた遠巻きの見物客もほぐれ、こちらもほっとして電車に乗り込んだ。
 ホームに残ってまだとうとうと駅員に説明している青年の姿と、道から駆けつけた人が改札口に向かう姿とが、走り出した電車の窓の外を一瞬に流れ去るのを、複雑な思いで眺めた。

(平成12.6.15)


目次ホームページヘ  作者・テーマ別作者別

ご感想をどうぞ:gb3820@i.bekkoame.ne.jp