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私が人を批判できなくなったわけ

荻野誠人

 ずいぶんとしわや白髪の増えたこの頃は、学生時代と比べると、本当に人を批判しなくなりました。たとえしたとしても、性急にとげとげしい言葉で責めることは、まずありません。
  なぜ昔は平気で批判できたのでしょう。それがどうしてできなくなっていったのでしょうか。自分でも不思議な気もしますので、この辺りでちょっとまとめてみたい気持ちになりました。
  私は性格の根っこのところでは攻撃的なのだと思います。物心ついたころには、もうきつい言葉を人に浴びせかけていました。ですから、嫌われたのは当然の報いでした。けれども、神経の太くない私には嫌われるのはつらいことでした。自分のことを棚に上げながら、その状況から脱けだしたいというかなり強い気持ちもありました。ひょっとすると長年にわたる変化の一番強い原動力はその気持ちだったのかもしれません。
  学生の頃というのは、可能性があります。失敗もまださほどしていませんし、限界もはっきり見えていませんし、いくらでも立派になれそうな気もしました。他人の欠点や失敗を見て、自分はああはならない、自分は違う、という意識もありました。要は、当時の私は怖いもの知らずだったというわけです。
  ところが、年を経るうちに、次第にその可能性がしぼんできます。取り返しのつかない失敗もしでかします。自分だってたいしたことはない、他の人と同じだということにいやでも気づいていきます。すると、一段高いところから他人を批判する資格などないことも分かって、批判を控えるようになります。そして、自分が同じ立場の人間なら、たとえ批判する場合でも、もっと言い方があるのではないかという発想をするようになっていきました。
  また、自分の批判には、欠点や弱点を指摘して改善するという本来の目的以外に、憂さ晴らしや自己顕示といった不純な要素が混じっていることも分かっていきました。こういう不純物は本来の目的を達成する妨げになり、相手を不必要に傷つけたり不快にしたりします。そういったものをそぎ落としていくと、批判は穏やかになったり、批判せずに済んだりするようになりました。
  さらにこんなこともあります。簡単に批判できるものなど、それほどないことも見えるようになっていきました。何か批判したくなるようなことにぶつかっても、やむを得ない事情でそうなったこともかなりあって、その場合、批判などできないというわけです。
  例えば、締切までに必要なものが出来上がっていない場合は、学生時代の私にとっては格好の批判の機会でした。その場で有無を言わせず非難することもありました。けれども、遅れるからには事情があるわけで、中には病気などしかたない事情もあるとか、もともと期限に無理があったのではないか、その人に頼んだこちらに問題があったのではないかとか、様々なことが見えるようになってきました。そして、次第にそういう事情をより多く思いつき、すばやく考慮するようになりました。すると、いきなりきつい言葉で文句を言うようなことができなくなってしまったのです。この変化は、自分が目指したものではなく、驚きでさえありました。
  この変化の原因は、多くの人や出来事にふれていくうちに自然と、より広い範囲が見える目を得たことなのか、周囲の人や本などから教えられたのか、はっきりしません。
  ただ、きっかけの一つとして印象に残っていることはあります。それは、唐突かもしれませんが、医学の進歩です。かつてはしつけや本人の不心得から来ると思われて世間の批判の対象になっていた行動や状態が純然たる病気なのだということが、私が年を重ねる間に次々と明らかになっていきました。病気なら、批判はできません。そういう情報に接するうちに、色々な失敗や欠点には、病気も含めた多くのやむを得ない原因が隠れているのかもしれない、人間というものはそんなに簡単に批判できないのではないか、少なくとも私には、という意識が育っていったのです。
  こんな変化も起こりました。極端な言い方をすると、「すべてだめ」から「すべてよし」へと立場が移っていったのです。他人を見下していたものが、その人なりの生き方や性格を次第に尊重するようになり、他人に干渉しなくなっていきました。こうなりますと、当然批判の機会も減っていきます。これも自分が目指した変化ではなかったのですが。
  その変化の原因ではないかと思われるものを幾つか挙げてみましょう。実は私は子供の頃から常に少数派でした。価値観や趣味などがそうなのです。少数派は周囲になかなか認めてもらえないだけでなく、変人扱いされて敬遠されることもあります。少数派は自分も認めてほしい、せめて放っておいてほしいと思うのですが、それなら当然他人の存在もみな認めなければなりません。それは「すべてよし」の発想につながっているのです。もっとも、そういう発想にたどりつくまでにはずいぶん時間がかかったかと思うのですが。そして世の中の風潮も、個人の多様な生き方を認めるように変わっていき、それが私の「すべてよし」への変化を後押ししてくれたようです。
  また、仕事では、批判ではなく、個人を認め、長所を伸ばすことが求められたということも変化の原因として挙げられるでしょう。必ずしもそれを常に実行できたわけではありませんが、長年にわたってそういう発想を持ち続ければ、性格も影響を受けるというものです。
  本などからの影響も大きかったと思います。宗教に関する本が中心だったと思いますが、私の読んだ本の中には、「すべてよし」というような価値観を述べたものが多かったのです。人が行動を選択しようというとき、本の中の言葉が浮かんで、その人に方針を示してくれることは珍しくありません。無意識の領域ではもっと影響を与えているのでしょう。
  自分が人を批判できなくなった理由は以上のようなものだろうと思います。
  ところで、変化することは、何かを失うことでもあります。今の私からは、かつての迫力や歯切れのよさや怖いもの知らずの度胸のようなものはなくなってしまったようです。そういうものは、多くの反発を引き起こしますが、時に予想もしなかった大きな成果をあげることもあるかと思います。ドラマなどにしばしば登場する型破りの主人公がそんな痛快な活躍をします。歴史に名を残した人物の中にもそのようなタイプは何人もいます。それにひきかえ、どうやら今の私は意外性のある、大化けするような人物ではなくなったようです。実は、学生時代の批判力を評価してくれた人たちもいたことはいたのですが、その人たちの期待には応えられないことになりました。
  私に起こった変化はあくまで変化であって、進歩とは言えないかもしれません。とは言え、私個人にとってはいいことでした。昔よりは人に好かれるようになりましたし、穏やかにゆったりと過ごせるようになりました。周囲にかける迷惑も以前ほどではなくなっているのではないでしょうか。たとえ常識的で、面白みの乏しい人間になってしまったとしても、そういう人間にはそれにふさわしい役割があるはずで、その役割を果たしていけばそれでいいと思っているのです。

2011・5・4

 


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