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判断保留の勧め

荻野誠人

 人の言動には様々な理由が考えられ、それを突き止めることはなかなか難しい。
 例えば、ある若い男性が電車の中で、お年寄りに席を譲ったとしよう。この若者はどういう理由で席を譲ったのだろうか。理由は幾つも考えられる。
 第一に、お年寄りが気の毒だと思ったということ。
 第二に、若者はお年寄りに席を譲るものだという信念があったということ。
 第三に、若者はお年寄りに席を譲らなければならないという義務感があったということ。
 第四に、席を譲ることで満足感を感じたかったということ。
 第五に、席を譲ることでお年寄りの喜ぶ顔が見たかったということ。
 第六に、席を譲ることで周囲に対する優越感を感じたかったということ。
 第七に、連れの恋人にいいところを見せたかったということ。
 単純な行動なのに、ざっと考えただけでもこれだけ出てくる。第七などはいきなり別の人を登場させて、ちょっと反則気味だが、そのように状況を変えれば、可能性はさらに広がる。
 実際には理由が一つしかない場合は少なくて、たいていは複数の理由が働いている。
 そして、どういう理由で席を譲ったのかは、はたで見ている人には(いや、場合によっては本人でさえも)なかなか分からないものである。もし上記の七つのうちどれだろうと改まって質問されたら、第三者は判断を保留するしかないだろう。
 しかし、日常生活では他人の言動の理由についてろくに根拠もないのに性急に断定することが多いように思う。しかもその不十分な断定を元にして相手を評価したり、その断定を周囲に吹聴したりする。
 他人の噂話をそばで聞いていると「おいおい、そんなこと簡単に断定できないだろう」と思わず口出ししたくなることがしょっちゅうある。それでも良い理由だと断定するのなら、まだいいのだが、悪い理由だと断定した場合は、その後の人間関係にひびが入りはしないかと老婆心ながら心配になったりする。悪い理由とは、電車の例から選ぶなら、第六や第七がそれに当たる。性急な断定の後で「自慢したくて席を譲ったんだろう」とその若者をからかったり、言いふらしたりすれば波風も立つだろう。
 人の言動には様々な理由が考えられることを知らないから、そうなるのだろうか。安易に断定せず、「分からない」という態度をとればいいかと思うのだが、判断の保留という中途半端な状態を気持ちが悪いとでも感じるのだろうか。もっとも、相手に先入観をもっている場合は、保留の状態に留まることは出来ず、その先入観に引きずられて断定してしまうだろうが。
 今やIT時代となり、メールや掲示板などが多用されるようになって、それが性急な断定を助長している。両者とも気軽に即座に返事が書けるので、落ち着いて考えようという気にならないのだろうか。おまけに相手に面と向かっている時は、相手の表情や口調が判断の材料になってくれるが、メールや掲示板からはそういうものはうかがえず、判断材料が乏しいので誤解が起こりやすい。だから一層慎重にしなければ、と自らを戒める人もいるのだが、一方文明の利器の短所に思い至らず、誤解、曲解をもとに相手を非難したり軽蔑したりする人もいる。私もたまに非難されることがあるのだが、そう仕向けてしまった自分の責任を感じつつも「それ以外の可能性もさぐってみてくれないかなあ」と思うことがないでもない。
 このような性急な断定が、大げさでなく、人々のいさかいの大きな原因となっているように思う。相手の言動にはいくつもの理由が考えられる。それを慌てて決めつけてもいいことは何もない。色々な可能性を考慮に入れて、判断を保留することだ。それだけでも人間関係はずいぶんと変わってくるはずである。

2006・3・15


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