花はさかりに荻野誠人 『徒然草』・・・誰もが一度は読む古典である。必ずといっていいほど教科書に採用され、試験問題に使われることも多い。 「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」(百三十七段)という有名なくだりに始まって、彼はことごとに「なまめかしい」、すなわち「奥ゆかしい」ふるまいを説いている。花はなにも盛りにだけ鑑賞するものではなく、月も皓々と照り輝いている夜だけながめるものではない。むしろ、雨の降る夜にかくれている月を想い、満開の花より、これから咲こうとしている梢を見あげたり、あるいは、すっかり花が散ってしまった庭をしみじみとながめるほうが、ずっと味わい深いではないか、というのである。そして、そのような味わい方のできる人こそが真の教養人であり、よき人であり、奥ゆかしい品性の持ち主だ、と。 この作者のゴシック体の部分の見解に首を傾げた方もかなりいるのではないか。 花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨に向ひて月をこひ、たれこめて[部屋に閉じこもって]春の行方も知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの[咲きそうな]こずゑ、散りしをれたる庭などこそ、みどころおほけれ。 やはりMさんの主張するような解釈の余地はないようだ。兼好さんはありのままの自然の姿を味わい、楽しんだのである。 (1999・7・22 )
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