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励まし(天使の修業その3)

荻野誠人

 ピコエル、テラエルと二、三人の仲間が駅のプラットホームを歩いていました。この日は同じ歳の天使候補たちがある国の大きな町に遊びに来ていたのでした。修行中はお互いに話をしない決まりですが、自由な時間ではすっかり親友同士になっていました。
 みんなはその国の人らしい姿になっていました。テラエルは余りに背が高くて人ごみの中で目立つというので、先輩の天使たちの力で背が低く見えるようにされていました。たまに赤ちゃんがピコエルたちを指差して「あーあー」と言っていましたが、赤ちゃんの目には天使候補たちが不思議な光を帯びているのが見えるのでしょう。
 視力のいいテラエルが自動販売機の野菜ジュースを見つけました。一度飲んでみて、お気に入りになっていたのです。テラエルがみんなから離れて、自動販売機の前で買い方が分からずにもたもたしていた時、「落ちたーっ」という叫びや悲鳴が聞こえてきました。テラエルはさっと振り向きました。
 プラットホームから身を乗りだしているピコエルのすぐ脇を突風が吹き抜けました。ピコエルがはっとした瞬間、テラエルは線路上で太った男の人を肩にかつぎ上げていました。キ、キーッと甲高いブレーキの音を響かせて電車が入ってきます。テラエルはプラットホームに飛び上がり、男の人を降ろすと、あっけにとられている人々をあとにしてすごい勢いで走り出し、階段を駆け降り、姿を消してしまいました。
 たとえ金メダルの選手でも、テラエルのまねをすることはできなかったでしょう。テラエルはまわりの人たちに騒がれないように逃げたのでした。天使候補たちは、自分の正体を知られないようにと注意されていたのです。
 一方、ピコエルはというと、青ざめて凍りついたようにその場を動きませんでした。

 ピコエルはみんなと別れてしょんぼりと公園の隅のベンチに座っていました。まわりを林に囲まれた静かな広場で、すべり台やブランコや鉄棒などがありました。小鳥の鳴き声があちこちから聞こえてきます。
 ピコエルは絶望的な気分になっていました。
 「テラエルと同じことができないのはしかたない。しかし、一歩も動けなかったとは・・・。線路には十分な広さがあったから、あの人を安全な所に引きずって行くこともできたはずだ。それなのに・・・。怖かったんだよな。電車が入ってきていたから。・・・とっさの時にその人の本性が出ると言われている。結局僕は臆病者なのか。・・・普通の人間なら、これでもいいのかもしれないけど、少なくとも天使にふさわしいほど勇敢じゃないのは明らかだ。・・・天使にも色々な仕事がある。必ずしも戦いの天使になる必要はない。しかし、仕事の中心はやはり悪魔や悪霊と戦うことだ。全く戦えない天使なんて天使じゃない。・・・」
 子供の声でピコエルは顔を上げました。五、六人の男の子が広場にやって来て、白くて小さなボールを使ってテニスのような遊びを始めました。その中に一人、とりわけ小さな子がまじっていました。残りの誰かの弟なのでしょう。わざとゆるいボールを打ってもらったりして、声を上げて仲よく遊んでいました。
 そのうち子供たちは、公園の広場へと降りてくる木の階段の下に集まりました。そして、誰が一番高いところから飛びおりられるか競争を始めました。掛け声と着地するドスンという音が聞こえてきます。ピコエルは自分も同じ遊びをしたなあと懐かしく眺めていました。
 小さな男の子も五段目までは飛べたのですが、六段目になると、地面をにらんだまま体が動きません。他の子が「がんばれ」と言ってもだめでした。
 すると一番大きな子が白いボールを五段目に置いて言いました。
 「じゃ、ザンくん、もう一回ここから飛んでみて」  ザンくんと呼ばれた子はほっとした顔になって、五段目から飛びおりました。その時大きな子は気づかれないようにすばやくボールを六段目に移しました。
 「じゃ、ザンくん、もう一回飛んでみて。今飛んだんだから、できるよね」  とボールを移した段を指しました。他の子たちも「同じところだよ」とうなずいています。ザンくんは六段目に立って、何も疑わずに飛びおりました。するとみんなが大声で拍手をしました。大きな子はすばやくボールを七段目に置きました。
 ピコエルは感心しながらその様子を眺めていました。すると、遠くからピコエルの耳に「がんばれ」「だいじょうぶだ」「できるよ」という懐かしい声が響いてきました。ふるさとの思い出がよみがえってきました。遊び仲間では一番年下だった自分が、川に飛び込めなかった時や、がけを登れなかった時、年上の友だちがしんぼう強く励ましてくれたこと。そしてとうとう川に飛び込み、がけを登り切った時、笑顔で大きな拍手をしてくれたこと。やったぞ、と得意な、ほっとした、少し照れくさい気持ちを味わったこと。
 ピコエルは今になって昔の友だちの温かい気持ちをひしひしと感じました。ありがたくて、涙があふれそうになるのを何とかこらえました。
 「そうだ、そうだったんだ。なんで気づかなかったんだろう。みんな、臆病な僕のことをあんなに応援してくれたんじゃないか。そのおかげで僕は少しは勇敢になれたんだ。今だって、みんなの気持ちに変わりはないはずだ。僕は今でも応援されているんだ。」
 ザンくんは年上の友だちの輪の中できょとんとした顔をしています。どうやらボールの種明かしをしてもらっているようです。
 「よし、自分をもっと勇敢にするような修業の場を神様に提供してもらおう。何度も体験して慣れることだ。そうすれば、何とかなるさ。」
 ピコエルは立ち上がりました。自分の中に力が湧いてくるのを感じながら、ザンくんたちの元気な声に送られて公園を出て行きました。
 ピコエルも決して自分が思っているほど弱い天使候補ではありませんでした。

2008・6・8


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