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ふること、ふられること

森村秀明

酒を飲みながら友達と話していたときのことです。
Aがこう聞いてきました。
「おい、お前の彼女、今どうしてるんだ。」
僕は思わず、
「いやあ、ふってやったよ。ざまあみろ。」
と口走ってしまいました。すると、Bがすかさず
「ざまあみろ? お前なあ、男はふられるようにもっていくんだぞ。何て奴だ。」
とさも軽蔑したように言いました。僕はドキリとしました。でも、それだけで、皆は何もなかったように、別の話題に移っていきましたが、そのあとも何となく皆の冷たい視線が注がれているようで、僕は逃げ出したくなりました。


実は僕はふったのではなく、ふられたのです。それを見栄や強がりでうそを言ったのです。しかもうそで元の彼女に恥をかかせたわけですから、すぐさまバチが当たったのは当然の報いでした。


酒の席で、Bは何て偉い奴なんだ、それに比べて僕は何てひとでなしで冷血動物なんだと思いました。翌日になると、本当にあのBがそんなことをするのかなあと疑いが起こって、それが段々強くなっていきましたが、でも、もうB自身が実行できるかどうかはどうでもいいことです。


僕は女性をふったとき、必ずしも思いやりのある態度をとりませんでした。冷たく無視したり、素っ気なく突き放したり、相手の気持ちも立場も考えないでいるようなところがありました。

ですから、Bのことばを聞いたとき、そんな別れ方があったのか!と本当に驚いたのです。それは僕にとってはものすごくレベルの高い行いに思えました。何しろ相手を傷つけないために、自分がわざと恥をかくのです。ひょっとしたら自分がふられたという噂が広まったりして、肩身の狭い思いをするかもしれません。でも、思いやりというものは、そういうものなのだろうと今さらのように思いました。

もっとも、そのやり方がいつも一番いい別れ方だとは限らないでしょう。はっきりわけを相手に言った方がいい場合もあるでしょう。しかし、その場合、自分の自尊心は傷つきません、恥もかきません。そういう意味では、Bのやり方の方がずっと勇気がいると思うのです。

また、「ふられるようにもっていく」と言っても、具体的にどうするかはかなり難しい問題でしょう。へたなことをすれば、かえって相手を傷つけるかもしれません。ですが、とにかくその考え方の底にある温かいものに僕ははっとさせられたのです。


僕はあの酒の席以来、遅まきながら女性に対する態度を改めたつもりです。僕が好きかどうかは全く別として、自分に好意をもってくれる人の心は最大限に尊重しようと思っています。今思うと、こんなことはごく当たり前のことなのに、何でできなかったのかと不思議でしかたありません。やはり僕は相当の馬鹿者だったのです。

(1992・10・7)


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