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自分で触れる

荻野誠人

 相手に直接触れて、自分の目で確かめる。人を理解するためにも、いい仕事をするためにも、とにかく何をするのにも必要な姿勢だと思う。そんなの当たり前じゃないか、と言われるかもしれないが、意外とそうしていないことが多いようだ。
 血液型や星占いの人気は相変わらずである。周知のとおり両者は人の性格を血液型や生年月日をもとに分類している。これらが正しいかどうか、科学的な根拠があるのかどうかといったことはここでは脇へ置いておきたい。
 趣味程度なら別にどうということはないだろうが、こういうものにのめり込んでいると、人にじかに接して自分で相手の性格を把握する前に、血液型や星占いの知識がしゃしゃり出てきて、結論を出してしまうのではないか。
 例えば血液型にこった人が私を観察している。最初は自分の目だけで私を見ている。だが、一旦「この人はA型ではないかなあ」と思うと、A型の性格に当てはまるものばかりに目が行き、本当はA型に属するかどうか微妙なところもA型の特徴に見えてしまう。私の方から「僕はA型だよ」と告げた場合はその傾向が一層強まる。
 しかも血液型や星占いの性格分類は他人が作ったものである上に、類型的である。明確な分類を示すためには類型的にならざるを得ないとも言えるが、千差万別で常に揺れ動いている一人一人の性格をとらえるためには全く不十分である。そのようなものに頼っていれば、人を見る目も育たないだろう。
 つまり血液型や星占いの知識が目隠しになっていて、人にじかに接しているようで接していないのである。他にも世論や偉い先生の意見など、目隠しをするものはたくさんあるだろう。
 もっと分かりやすい例で、しょっちゅう馬鹿にされているのがファストフード店の接客マニュアルである。あれがあれば一応の応対は出来るから、便利なことは間違いない。しかし、店員の中には、マニュアルにない反応を客が示しても、テープレコーダーのようにマニュアル通りのとんちんかんな応対しか出来ない人も珍しくない。
 マニュアルはある程度のところまでは教えてくれるが、店員にお客にじかに接しようという姿勢がないと、逆に邪魔をするようになるのである。一人前の店員になるためにはやはり自分の目で一人一人のお客の様子を観察して、気持ちを読み取る訓練を積まなければならない。マニュアルにはそういったことは書いてあるのだろうか。それでも、この落とし穴は気付きやすいし、笑い話になるくらいで実害もたいしたことはないから、たちがいいと言えるだろう。
 次のようなことはもう少し深刻である。一般に経験とは貴重なものだと思われている。 しかし、油断していると経験が占いやマニュアルと同じような役割を果たしてしまう。
 例えば、教師が経験を積んでいくと、授業の準備にかける時間が段々短くなっていく。経験をもとに準備をすればいいからである。以前の教え方や練習問題などをそのまま使うことも出来る。ベテランになればなるほど、楽に多くの授業をこなせるようになる。自分の腕もずいぶん上がったものだと嬉しくなる。
 だが、ここに落とし穴がある。楽をしようとする教師、授業に飽きた教師、数をこなそうとする教師、経験を過信している教師などは、目の前にいる生徒をろくに見ずに、自分の経験だけをもとに準備をしてしまうのである。つまり、経験が目の前の生徒と自分の間に壁を作ってしまうのだ。すると、授業と生徒が微妙にずれてくる。最初のうちはそのずれは小さなものかもしれない。しかし、もうすでに、生徒に触れ、生徒に合わせて準備した以前の授業には及ばなくなっている。
 しばらくはごまかしが利くかもしれない。しかし、人も世の中も変化していく。一方、教師が生徒にじかに接しなくなった時点から、その教師の授業は進歩をやめてしまう。だから、授業と生徒のずれが次第に大きくなって、気がついたら月謝泥棒のような授業に成り果てていることもないとは言えない。
 実例を大げさな形にして紹介しよう。最初の年、大人気のテレビ番組を授業に取り入れて大いに盛り上がる。その成功に味をしめて、もうその番組は終わっているのに次の年も同じ学年に使う。この時は、「先生古いなあ」と言われるぐらいで済むかもしれない。しかし、三年目、ほとんどの生徒がその番組に興味を失っていて、中には余り記憶していない生徒さえいるのに、また同じことをする。するとすっかり白けた雰囲気になってしまう。いつも生徒に接して、好きな番組を聞き出していればそういうことにはならないのに。
 常に目前の生徒に合わせた授業をしようとしている教師は、苦労も多いが、着実に向上していくし、その授業は新鮮である。還暦を過ぎた教師が新人のようにはさみやのりで教材を作っているのを見ると、それだけでその人を信頼したくなってしまうのである。
 経験が大切であるという常識に異を唱えるつもりはない。だが、現に目の前にある対象にじかに触れることの方がもっと大切である。それを忘れて経験のみに頼ると、経験が逆に障害物になりかねない。
 このことは多くの、あるいはすべての職業にも当てはまるのではないか。また、経験だけでなく、伝統や理論や主義などにも同じ落とし穴がある。
 まず自分で直接対象に触れる。そして自分で判断する。何をするにもそれが最も大切である。

                          2003・8・11


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