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不仲もまたよし

荻野誠人

 知り合いの中年女性が少しこぼしていた。どうも親子関係がうまくいかない、子どもが自分たち親を慕ってくれないというのである。理由もよく分からないらしい。それは困りましたね、と話を聞いているうちに、どうも妙な感じがしてきた。何が妙なのかというと、こういうことである。

 この女性は、親子は仲がよくなければならないという決まりのようなものがあると思い込み、それを守れないことを苦にしているようなのだ。もっとも、こういう考え方の人は珍しくないのかもしれない。何しろ家族が仲よく暮らすというのは基本的な道徳と見なされているのだから。だが、それは先入観というやつではないか。

 誰とでも仲よく出来る人というのはそれほど多くはないだろう。多かれ少なかれ嫌いな人や敬遠したい人がいるものだ。そしてそのことを特に罪悪視する人はいない。十人十色なのだから、中には自分と合わない人がいてもしようがないと思っているのである。

 同じことが家族にも当てはまる。夫婦はともかく、親子や兄弟は自分で選べるわけではない。だから、親子や兄弟に嫌いな人や合わない人がいても別に不思議ではないのだ。

 親子兄弟、仲がいいのは幸せなことである。その方がいいに決まっている。そして、仲よくしようと努力するのもけっこうなことだ、それが自然な努力であるならば。しかし、親子だから、兄弟だから仲よくしなければならない、仲がよくなければおかしい、と考えれば、そこまでいかない人は憂鬱な毎日を送ることになってしまう。不仲なら親失格などと思い込むとしたら、余りにも気の毒である。また、世間体を気にして仲がいいふりをするのも空しいだけであろう。

 明らかな不仲の原因でもあるなら、それを解決していくべきだが、そうでなければ、悩んだりせず淡々としていてもいいのではないか。好き嫌いのようなものは自分の意志で簡単に変えることは出来ない。まして他人の好き嫌いを変えることなどまず不可能だ。自分も含めて人の気持ちを無理に変えようとしても苦しいだけである。

 仲が悪くても、それを率直に受け入れ、知恵を働かせて波風立てずにつきあっていくことは十分出来る。それもそんなに悪くない家族関係ではないか。少なくとも、そういう考え方もあるのだと思っていれば、ずっと楽に生きていけるのではないだろうか。

(1998・6・12)


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