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不快にしない文末表現

荻野誠人

  そうは思いません。

 この言い方、いかがでしょうか。どうってことないじゃないかと思われるかもしれません。でも、一人の相手に向けた文章中での言い方としては、かなりきついと感じるのです。少なくとも、この言い方を上司やお客さんに使うにはかなりの勇気が必要だと感じる人はけっこういるのではないでしょうか。私だったら、気安い上司になら使うかもしれませんが、お客さんには決して使いません。口頭なら、しゃべり方や表情で印象を和らげることは出来ますが。

 この言い方が、相手を否定する意味をもっていることもきつい感じの原因ですが、もう一つの原因があると思います。それは「思いません」と断言する形をとっていることではないでしょうか。

 否定されていい気分の人は余りいないと思います。相手を否定するのが嫌な人も少なくないでしょう。しかし、どうしてもそうせざるをえない場面というのもあると思うのです。実は、私、上司やお客さんではありませんけど、相手を文章で否定したり、批判したりする機会が多いのです。以前は「そうは思いません」のようなはっきりした言い方を使っていました。それが大きな原因かどうかは分かりませんが、ずいぶんと怒りを買いました。縁がなくなってしまった人も大勢います。今振り返りますと、自責の念がわいてきます。そこで何とか気分を害さずに、こちらの意図を理解してもらう言い方をしようと悪戦苦闘してきました。

 その結果、ある程度適切と思われる言い方が見つかって蓄積されてきました。ここではその中で、比較的まとまっていて、私が多用しているものをご紹介します。それは、造語ですが、「ためらい表現」とでも言いましょうか。「省略法」や「婉曲法」の中に入るのかもしれません。(なお、怒らすのは、言い方より も、心の問題だという意見もあるでしょう。私もそう思いますが、ここではあくまで前者を話題にします)。

 冒頭の「そうは思いません」を例にとります。それを完全に変えて、「すみませんが、私の意見はちょっと違うんですけど」といったような表現にする方法もありますが、ここでは「そうは思いません」の形から余り離れないような言い方をしてみます。

 そうは思わないんですが・・・。
 そうではないのでは、と。
 そうではないのでは・・・。
 そうではないような気が・・・。

 すべて断言していません。文が完結していません。「・・・」はなくてはならないものです。自信のなさそうな、ためらいがちの表現は、相手に与える印象を和らげると思います。一方、訴える力は弱くなっています。特に4番目は少し弱すぎるかもしれません。しかし、相手に反対するという意図は伝わっているのではないでしょうか。

 次に、最近、実際に使った表現を2例ご紹介します。

 Aは、私の好みには、ちょっと・・・

 相手の人がAを好きだと書いたのに対して自分の好みを言った文です。はっきり書くなら、「Aは、私の好みには合いません」となりますが、相手はさほど親 しい人でもありませんでしたので、きつすぎる表現だと感じました。なお、この「ちょっと・・・」はビジネス会話でも断るときに使われる表現です。

 私、そういう話題にはあんまり近づかないように・・・。

 私は相手の人の意見には正しいところがあると思っているのですが、いわば「知らない方が幸せかも」といった内容で、読み手の元気や意欲を削いでしまうかもしれないという懸念を抱いていますので、ふだん余りその話題にはふれないようにしているのです。これをはっきり言うなら「あんまり近づかないようにしています」となりますが、肯定形ではあっても、抵抗感が強くなる言い方ではないかと感じて、避けました。なお「私は」と言わずに「私、」としたのも自己主張の感じを弱めるためです。

 もちろん、どんな場合でも使えるわけではありません。相手を不快にしても強く言わねばならない場合などもあるでしょう。そこは臨機応変です。一方、こんな細かいことまで気を遣わなくてもいいぞ、という豪快な性格の人もいるとは思います。

 なお、言うまでもなく「ためらい表現」は私の発明などではありません。昔から存在していますし、今も多くの人が使っています。私はそれを集めて、多めに使っているだけです。特にドラマなどの、目上の人に向けたセリフを参考にしてきました。時代劇でもしばしば出てきます。最も印象に残っているのが、不満を表す「奉行の仕事はどうも・・・」です。

 今の私は、文章で人を怒らせることは以前よりかなり少なくなっています。ただ、それがここで紹介した工夫が功を奏したからかどうかは分かりません。私の工夫について人様に意見を聞いたこともなく、その点が泣きどころでしょう。実は、口頭でも同じような言い方を試していて、そちらの方は一度数人に印象を尋ねたことはあり、私の期待していた通りの効果があるようですが、やはり話すのと書くのとを同列に論じることは出来ないでしょう。ご意見があれば、どうぞお願いします。また、もしこの工夫はよさそうだと思われましたら、どうぞお試しください。ささやかでも和やかな人間関係の演出のお役に立てれば、光栄です。

2012・2・4


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