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自分で選ぶ

荻野誠人

 「いやあ、私は親の言いつけを聞いたことがないんですよ」
 こう答えると、相手はいつも二の句がつげない。そして居心地悪そうに何となく別の話題に移ってしまう。この人は親孝行だったんだなあと思う。
 「聞いたことがない」というのは少し大げさかもしれないが、自分のしたいことを諦めて親の言うことに渋々従ったという記憶はほとんどないのである。二十歳前後の頃はそれを「自分の判断力の方が上だから」などと吹聴していた。今振り返ると、私の判断の方が正しかったこともあったが、それよりも自分のことは自分で決めたいという気持ちが強かったことと、両親に特に信条のようなものがなく、子供の自由を認めてくれたことが大きかったようだ。
 私は大体何でも自分で判断して決めてきた。それは良かったと思う。私の判断はいつも正しかったわけではない。それどころか、二十代前半に下したある判断は実に愚かなもので、自分の夢を台なしにしてしまった。長年積み重ねてきたものも、ごみのように捨ててしまうことになった。一生それを取り戻すことは出来ない。
 しかし、そのことについて私はくよくよしていない。そう書くと、ずいぶんからっとした人だと思われてしまうかもしれないが、実は私はこだわる性格である。執着気質というのか、なかなか気分転換が出来ない。悪く言うと、じめじめした性格、根に持つ性格ということだ。そんな自分がなぜ・・・と我ながら不思議である。もちろん当時は悲しみもしたし、関係した人達に対し多少は恨みがましい気持ちももった。しかし、ことの大きさの割りには、すっきりした気分であった。納得していた。それはやはり自分で選んだ道だったからだ。他人を恨む筋合いではなかったのである。
 もし親にそういう選択肢を押し付けられたのなら、今に至るまで恨み続けていただろう。そして、恨みの念で私の心は重苦しいものになっていただろう。
 竹を割ったような性格の人がいる。そういう人なら、何もかも水に流して誰かを恨むこともないだろう。しかし、こだわる性格の人も決して少なくはない。そういう子供をもった親が自分の希望を押し付けたとしたら、一生恨まれる恐れがある。恨むことも恨まれることもいやなものである。貴重な人生を不快なものにするのだから。
 自分の道は自分で選ぶ、選ばせる。納得のいく人生を送るためには大切なことだ。

2003・3・16


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